・・・しかもそれを当事者自身は何か英雄的行為のようにうぬ惚れ切ってするのですからね。けれどもわたしの恋愛小説には少しもそう云う悪影響を普及する傾向はありません。おまけに結末は女主人公の幸福を讃美しているのです。 主筆 常談でしょう。……とにか・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・ 英雄は古来センティメンタリズムを脚下に蹂躙する怪物である。金将軍はたちまち桂月香を殺し、腹の中の子供を引ずり出した。残月の光りに照らされた子供はまだ模糊とした血塊だった。が、その血塊は身震いをすると、突然人間のように大声を挙げた。・・・ 芥川竜之介 「金将軍」
・・・これは一見きわめて英雄的な態度のように見える。しかしながら本当に考えてみると、その人の生活に十分の醇化を経ていないで、過去から注ぎ入れられた生命力に漫然と依頼しているのが発見されるだろう。彼が現在に本当に立ち上がって、その生命に充実感を得よ・・・ 有島武郎 「想片」
・・・無論ある程度まで自分を英雄だと感じているのである。奥さんのような、かよわい女のためには、こんな態度の人に対するのは、随分迷惑な恐ろしいわけである。しかしフレンチの方では、神聖なる義務を果すという自覚を持っているのだから、奥さんがどんなに感じ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・嘘と思うなら、かりにいっさいの天才英雄を歴史の上から抹殺してみよ。残るところはただ醜き平凡なる、とても吾人の想像にすらたゆべからざる死骸のみではないか。 自由に対する慾望は、しかしながら、すでに煩多なる死法則を形成した保守的社会にありて・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・それには一週間ばかり以来、郵便物が通ずると言うのを聞くさえ、雁の初だよりで、古の名将、また英雄が、涙に、誉に、屍を埋め、名を残した、あの、山また山、また山の山路を、重る峠を、一羽でとぶか、と袖をしめ、襟を合わせた。山霊に対して、小さな身体は・・・ 泉鏡花 「栃の実」
・・・しかし私は初めてからそんな心はしなかった。英雄人を欺くというから、あるいはそうかも知れんが、しかし私はそんな気持はしなかった。その後は何かの用があったりして、ちょいちょい訪ねて行くこともあったが、何時でも用談だけで帰ったことがない。お忙がし・・・ 内田魯庵 「温情の裕かな夏目さん」
・・・古今の英雄の詩、美人の歌、聖賢の経典、碩儒の大著、人間の貴い脳漿を迸ばらした十万巻の書冊が一片業火に亡びて焦土となったを知らず顔に、渠等はバッカスの祭りの祝酒に酔うが如くに笑い興じていた。 重役の二三人は新聞記者に包囲されていた。自分に・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・この世の中が、一人の英雄によって左右されると考えられた時代には、誰しも、英雄に対する讃美を惜しまなかったこともあります。また、天才が、時代に超越すると考えられた時代もありました。その時分には、天才を人間以外の人間の如く、天才には、すべてが許・・・ 小川未明 「机前に空しく過ぐ」
・・・ お前はしきりに首をひねっていたが、間もなく、川那子メジシンの広告から全快写真の姿が消え、代って歴史上の英雄豪傑をはじめ、現代の政治家、実業家、文士、著名の俳優、芸者等、凡ゆる階級の代表的人物や、代表的時事問題の誹毀讒謗的文章があらわれ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
出典:青空文庫