・・・足元からすこしだらだら下がりになり萱が一面に生え、尾花の末が日に光っている、萱原の先きが畑で、畑の先に背の低い林が一叢繁り、その林の上に遠い杉の小杜が見え、地平線の上に淡々しい雲が集まっていて雲の色にまがいそうな連山がその間にすこしずつ見え・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・谷に下りて、あまのりや生ひたると尋ぬれば、あやまりてや見るらん、芹のみ茂りふしたり。古郷の事、はるかに思ひ忘れて候ひつるに、今此のあまのりを見候て、よし無き心おもひでて憂くつらし。かたうみ、いちかは、小港の磯のほとりにて、昔見しあまのりなり・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・草木繁りて路みえず。かかる所へ尋ね入る事、浅からざる宿習也。かかる道なれども釈迦仏は手を引き、帝釈は馬となり、梵王は身に立ちそひ、日月は眼に入りかはらせ給ふ故にや、同十七日、甲斐国波木井の郷へ着きぬ。波木井殿に対面ありしかば大に悦び、今生は・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・子安が東京から来て一月ばかり経つ時分には藤の花などが高い崖から垂下って咲いていた谷間が、早や木の葉の茂り合った蔭の道だ。暗いほど深い。 岡の上へ出ると、なまぬるい微かな風が黄色くなりかけた麦畠を渡って来る。麦の穂と穂の擦れる音が聞える。・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・見あげると、その崖のうえには、やしろでもあるのか、私の背丈くらいの小さい鳥居が立っていて、常磐木が、こんもりと繁り、その奥ゆかしさが私をまねいて、私は、すすきや野いばらを掻きわけ、崖のうえにゆける路を捜したけれども、なかなか、それらしきもの・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・とにかくこの樹の茂りを見てはじめて三十年前の鶯横町を取返したような気がした。 帰りにはやっぱり御院殿の坂が見付かった。どこか昔の姿が残っているが昔のこんもりした感じはもうない。 鶯横町の椎の茂りを見ただけで満足してそのまま帰って来て・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
・・・ 延び過ぎた芝の根もとが腐れかかっているのを見た時に、私はふと単純な言葉の上の連想から、あまりに栄え茂りすぎた物質的文化のために人間生活の根本が腐れかかるのではないかと思ってみた。そしてそれを救うにはなんとかして少しこの文明を刈り込む必・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・ この盛んな勢いで生長している植物の葉の茂りの中に、枯れかかったような薔薇の小枝から煤けた色をした妙なものが一つぶら下がっている。それは蜂の巣である。 私が始めてこの蜂の巣を見付けたのは、五月の末頃、垣の白薔薇が散ってしまって、朝顔・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・そして垣の根方や道のほとりには小笹や雑草が繁り放題に繁っていて、その中にはわたくしのかつて見たことのない雑草も少くはない。山牛蒡の葉と茎とその実との霜に染められた臙脂の色のうつくしさは、去年の秋わたくしの初めて見たものであった。野生の萩や撫・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・片側は人の歩むだけの小径を残して、農家の生垣が柾木や槙、また木槿や南天燭の茂りをつらねている。夏冬ともに人の声よりも小鳥の囀る声が耳立つかと思われる。 生垣の間に荷車の通れる道がある。 道の片側は土地が高くなっていて、石段をひかえた・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
出典:青空文庫