・・・ その声が、直ぐ耳近に聞こえたが、つい目前の樹の枝や、茄子畑の垣根にした藤豆の葉蔭ではなく、歩行く足許の低い処。 其処で、立ち佇って、ちょっと気を注けたが、もう留んで寂りする。――秋の彼岸過ぎ三時下りの、西日が薄曇った時であった。こ・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・……あの、茄子のつき加減なのがありますから、それでお茶づけをあげましょう。」 薄暗がりに頷いたように見て取った、女房は何となく心が晴れて機嫌よく、「じゃ、そうしましょう/\。お前さん、何にもありませんよ。」 勝手へ後姿になるに連・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・娘の帯の、銀の露の秋草に、円髷の帯の、浅葱に染めた色絵の蛍が、飛交って、茄子畑へ綺麗にうつり、すいと消え、ぱっと咲いた。「酔っとるでしゅ、あの笛吹。女どもも二三杯。」と河童が舌打して言った。「よい、よい、遠くなり、近くなり、あの・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 大通りは一筋だが、道に迷うのも一興で、そこともなく、裏小路へ紛れ込んで、低い土塀から瓜、茄子の畠の覗かれる、荒れ寂れた邸町を一人で通って、まるっきり人に行合わず。白熱した日盛に、よくも羽が焦げないと思う、白い蝶々の、不意にスッと来て、・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・そのまま、茄子の挫げたような、褪せたが、紫色の小さな懐炉を取って、黙って衝と技師の胸に差出したのである。 寒くば貸そう、というのであろう。…… 挙動の唐突なその上に、またちらりと見た、緋鹿子の筒袖の細いへりが、無い方の腕の切口に、べ・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・……菜大根、茄子などは料理に醤油が費え、だという倹約で、葱、韮、大蒜、辣薤と申す五薀の類を、空地中に、植え込んで、塩で弁ずるのでございまして。……もう遠くからぷんと、その家が臭います。大蒜屋敷の代官婆。…… ところが若夫人、嫁御というの・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ それでも或日の四時過ぎに、母の云いつけで僕が背戸の茄子畑に茄子をもいで居ると、いつのまにか民子が笊を手に持って、僕の後にきていた。「政夫さん……」 出し抜けに呼んで笑っている。「私もお母さんから云いつかって来たのよ。今日の・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・居た、見ると兼公の家も気持がよかった、軒の下は今掃いた許りに塵一つ見えない、家は柱も敷居も怪しくかしげては居るけれど、表手も裏も障子を明放して、畳の上を風が滑ってるように涼しい、表手の往来から、裏庭の茄子や南瓜の花も見え、鶏頭鳳仙花天竺牡丹・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・ 田舎の人達は、どんなにして働いたか、西瓜を作り、南瓜を作り、茄子を作り、芋を作るのに、どんなに汗水を滴らして働いたか。 また、林檎を栽培し、蜜柑、梨子、柿を完全に成熟さして、それを摘むまでに、どれ程の労力を費したか。彼等は、この辛・・・ 小川未明 「街を行くまゝに感ず」
・・・屋の高津黒焼惣本家鳥屋市兵衛本舗の二軒が隣合せに並んでいて、どちらが元祖かちょっとわからぬが、とにかくどちらもいもりをはじめとして、虎足、縞蛇、ばい、蠑螺、山蟹、猪肝、蝉脱皮、泥亀頭、手、牛歯、蓮根、茄子、桃、南天賓などの黒焼を売っているの・・・ 織田作之助 「大阪発見」
出典:青空文庫