・・・葭簾囲いの着もの脱ぎ場にも、――そこには茶色の犬が一匹、細かい羽虫の群れを追いかけていた。が、それも僕等を見ると、すぐに向うへ逃げて行ってしまった。 僕は下駄だけは脱いだものの、とうてい泳ぐ気にはなれなかった。しかしMはいつのまにか湯帷・・・ 芥川竜之介 「海のほとり」
・・・これらの町々を通る人の耳には、日をうけた土蔵の白壁と白壁との間から、格子戸づくりの薄暗い家と家との間から、あるいは銀茶色の芽をふいた、柳とアカシアとの並樹の間から、磨いたガラス板のように、青く光る大川の水は、その、冷やかな潮のにおいとともに・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・家康は大蝋燭の光の中にこうきっぱり言葉を下した。 夜ふけの二条の城の居間に直之の首を実検するのは昼間よりも反ってものものしかった。家康は茶色の羽織を着、下括りの袴をつけたまま、式通りに直之の首を実検した。そのまた首の左右には具足をつけた・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・おとうさんの茶色の帽子だけが知らん顔をしてかかっていました。あるに違いないと思っていた僕の帽子はやはりそこにもありませんでした。僕はせかせかした気持ちになって、あっちこちを見廻わしました。 そうしたら中の口の格子戸に黒いものが挟まってい・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・その着物は春の頃クサカが喰い裂いた茶色の着物であった。「可哀相にここに居たのかい。こっちへ一しょにおいで」とレリヤがいった。そして犬を連れて街道に出た。街道の傍は穀物を刈った、刈株の残って居る畠であった。所々丘のように高まって居る。また低い・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・少し茶色のだの、薄黄色だの、曇った浅黄がございましたり。 その燃えさしの香の立つ処を、睫毛を濃く、眉を開いて、目を恍惚と、何と、香を散らすまい、煙を乱すまいとするように、掌で蔽って余さず嗅ぐ。 これが薬なら、身体中、一筋ずつ黒髪の尖・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・何、黒山の中の赤帽で、そこに腕組をしつつ、うしろ向きに凭掛っていたが、宗吉が顔を出したのを、茶色のちょんぼり髯を生した小白い横顔で、じろりと撓めると、「上りは停電……下りは故障です。」 と、人の顔さえ見れば、返事はこう言うものと極め・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ わあ、わっ、わっ、わっ、おう、ふうと、鼻呼吸を吹いた面を並べ、手を挙げ、胸を敲き、拳を振りなど、なだれを打ち、足ただらを踏んで、一時に四人、摺違いに木戸口へ、茶色になって湧いて出た。 その声も跫音も、響くと、もろともに、落ちかかっ・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・この辺の家の窓は、五味で茶色に染まっていて、その奥には人影が見えぬのに、女の心では、どこの硝子の背後にも、物珍らしげに、好い気味だというような顔をして、覗いている人があるように感ぜられた。ふと気が付いて見れば、中庭の奥が、古木の立っている園・・・ 著:オイレンベルクヘルベルト 訳:森鴎外 「女の決闘」
・・・四方の壁は古新聞で貼って、それが煤けて茶色になった。日光の射すのは往来に向いた格子附の南窓だけで、外の窓はどれも雨戸が釘着けにしてある。畳はどんなか知らぬが、部屋一面に摩切れた縁なしの薄縁を敷いて、ところどころ布片で、破目が綴くってある。そ・・・ 小栗風葉 「世間師」
出典:青空文庫