・・・ 六 草双紙 僕の家の本箱には草双紙がいっぱいつまっていた。僕はもの心のついたころからこれらの草双紙を愛していた。ことに「西遊記」を翻案した「金毘羅利生記」を愛していた。「金毘羅利生記」の主人公はあるいは僕の記憶に残・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・ばかり、三日五日続けて見て立つと、その美しいお嬢さんが、他所から帰ったらしく、背へ来て、手をとって、荒れた寂しい庭を誘って、その祠の扉を開けて、燈明の影に、絵で知った鎧びつのような一具の中から、一冊の草双紙を。……「――絵解をしてあげま・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ 普通、草双紙なり、読本なり、現代一種の伝奇においても、かかる場合には、たまたま来って、騎士がかの女を救うべきである。が、こしらえものより毬唄の方が、現実を曝露して、――女は速に虐げられているらしい。 同時に、愛惜の念に堪えない。も・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・錦重堂板の草双紙、――その頃江戸で出版して、文庫蔵が建ったと伝うるまで世に行われた、釈迦八相倭文庫の挿画のうち、摩耶夫人の御ありさまを、絵のまま羽二重と、友染と、綾、錦、また珊瑚をさえ鏤めて肉置の押絵にした。…… 浄飯王が狩の道にて――・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・お前なんぞ年が若いから、もしね、人並みの顔や姿でとんだ自惚れでも持って、あの、口なくして玉の輿なんて草双紙にでもあるようなことを考えてるなら、それこそ大間違い! 妾手掛けなら知らないこと、この世知辛い世に顔や縹致で女房を貰う者は、唐天竺にだ・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・勿論草双紙の類は其前から読み初めました。初めの中は変な仮名文字だから読み苦くって弱りましたが、段々読むに慣れてスラスラと読めるようになった。それから後は親類の家などへ往って、児雷也物語とか弓張月とか、白縫物語、田舎源氏、妙々車などいうものを・・・ 幸田露伴 「少年時代」
・・・それゆえ婆様も、私の姉様なぞよりずっと私のほうを可愛がって下さいまして、毎晩のように草双紙を読んで聞かせて下さったのでございます。なかにも、あれあの八百屋お七の物語を聞いたときの感激は私は今でもしみじみ味わうことができるのでございます。そし・・・ 太宰治 「葉」
・・・「いっそ、草双紙ふうのものがいいかな?」「君、その本は重大だよ。ゆっくり考えてみようじゃないか。怪談の本なんかもいいのだがねえ。何かないかね。パンセは、ごついし、春夫の詩集は、ちかすぎるし、何かありそうなものだがね。」「――ある・・・ 太宰治 「雌に就いて」
・・・ 浄瑠璃と草双紙とに最初の文学的熱情を誘い出されたわれわれには、曲輪外のさびしい町と田圃の景色とが、いかに豊富なる魅力を示したであろう。 その頃、見返柳の立っていた大門外の堤に佇立んで、東の方を見渡すと、地方今戸町の低い人家の屋根を・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ような国貞振りの年増盛りが、まめまめしく台所に働いている姿は勝手口の破れた水障子、引窓の綱、七輪、水瓶、竈、その傍の煤けた柱に貼った荒神様のお札なぞ、一体に汚らしく乱雑に見える周囲の道具立と相俟って、草双紙に見るような何という果敢い佗住居の・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫