・・・この道場というは四間と五間の板間で、その以前豊吉も小学校から帰り路、この家の少年を餓鬼大将として荒れ回ったところである。さらに維新前はお面お籠手の真の道場であった。 人々は非常に奔走して、二十人の生徒に用いられるだけの机と腰掛けとを集め・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ 二 彼の問いと危機 日蓮は太平洋の波洗う外房州の荒れたる漁村に生まれた。「日蓮は日本国東夷東条安房国海辺旃陀羅が子也」と彼は書いている。今より七百十五年前、後堀川天皇の、承久四年二月十六日に、安房ノ国長狭郡東条に貫・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・そして唇が荒れ出した。腹では胎児がむく/\と内部から皮を突っぱっていた。四 百姓は、生命よりも土地が大事だというくらい土地を重んじた。 死人も、土地を買わなければ、その屍を休める場所がない。――そういう思想を持っていた。・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・枝路のことなれば闊からず平かならず、誰が造りしともなく自然と里人が踏みならせしものなるべく、草に埋もれ木の根に荒れて明らかならず、迷わんとすること数次なり。山沿いの木下蔭小暗きあたりを下ること少時にして、橋立川と呼ぶものなるべし、水音の涼し・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 新浴場の位置は略崖下の平地と定った。荒れるに任せた谷陰には椚林などの生い茂ったところもある。桜井先生は大尉を誘って、あちこちと見て廻った。今ある自分の書斎――その建物だけを、先生はこの鉱泉側に移そうという話を大尉にした。 対岸に見・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・「これは来る途中で海が荒れでもしたのに相違ない。何、私が殺されればそれでいいではないか。」とデイモンは獄卒に言いました。 ディオニシアスは、それ見ろと笑いました。そして、いよいよ今日の何時までにかえらなければお前を殺すからそう思えと・・・ 鈴木三重吉 「デイモンとピシアス」
・・・私は、荒れている灰色の海をちらと見ただけで、あきらめた。橋のたもとの望富閣という葦簾を張りめぐらせる食堂にはいり、ビイルを一本そう言った。ちろちろと舌でなめるが如く、はりあいのない呑みかたをしながら、乱風の奥、黄塵に烟る江の島を、まさにうら・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・暴風のように荒れわたる。脚を固い板の上に立てて倒して、体を右に左にもがいた。「苦しい……」と思わず知らず叫んだ。 けれど実際はまたそう苦しいとは感じていなかった。苦しいには違いないが、さらに大なる苦痛に耐えなければならぬと思う努力が少な・・・ 田山花袋 「一兵卒」
・・・ 一夜浜を揺がす嵐が荒れた。 嵐の前の宵、客のない暗い二階の欄干に凭れて沖を見ていた。昼間から怪しかった雲足はいよいよ早くなって、北へ北へと飛ぶ。夕映えの色も常に異なった暗黄色を帯びて物凄いと思う間に、それも消えて、暮れかかる濃鼠の・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・しかるに彼ら閣臣の輩は事前にその企を萌すに由なからしむるほどの遠見と憂国の誠もなく、事後に局面を急転せしむる機智親切もなく、いわば自身で仕立てた不孝の子二十四名を荒れ出すが最後得たりや応と引括って、二進の一十、二進の一十、二進の一十で綺麗に・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
出典:青空文庫