・・・すると丹泉は莞爾と笑って、「この鼎は実は貴家から出たのでござりまする。かつて貴堂において貴鼎を拝見しました時、拙者はその大小軽重形貌精神、一切を挙げて拙者の胸中に了りょうりょうと会得しました。そこで実は倣ってこれを造りましたので、あり体に申・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・と呼びかけて亭主のいうに、ちょっと振りかえって嬉しそうに莞爾笑い、「いいよ、黙って待っておいで。 たちまち姿は見えずなって、四五軒先の鍛冶屋が鎚の音ばかりトンケンコン、トンケンコンと残る。亭主はちょっと考えしが、「ハテナ、近・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・ おのぞみどおり 博士は莞爾と笑いました。いいえ、莞爾どころではございませぬ。博士ほどのお方が、えへへへと、それは下品な笑い声を発して、ぐっと頸を伸ばしてあたりの酔客を見廻しましたが、酔客たちは、格別相手になっては呉れませぬ。それで・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・老紳士は莞爾と笑って、「待っていました。」と言う。けれども内心は閉口している。老紳士は歯をわるくしているので、豚の肉はてんで噛めないのである。「次は豚の煮込みと来たか。わるくないなあ。おやじ、話せるぞ。」などと全く見え透いた愚かなお世辞・・・ 太宰治 「禁酒の心」
・・・ 彼は、はじめて莞爾と笑って、「ああ、あなたは、やっぱり、わかって下さる。あなたなら、私の言う事を必ず全部、信じてくれるだろうとは思っていたのですが、やっぱり、血をわけた兄弟だけあって、わかりが早いですね。接吻しましょう。」「い・・・ 太宰治 「女神」
・・・―― まずこれでよし、と長兄は、思わず莞爾と笑った。弟妹たちへの、よき戒しめにもなるであろう。このパウロの句でも無かった事には、僕の論旨は、しどろもどろで甘ったるく、甚だ月並みで、弟妹たちの嘲笑の種にせられたかもわからない。危いところで・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・』と、若子さんは御呼掛でしたが、辛ッと私に聞こえる位の声で、『あのう、阿母さまも私も待って居てよ。』『生命があったらば。』と莞爾なすって。 私は若子さんの意の中を思遣って、見て居られなくなって横を向きました。 すると、直き傍で急・・・ 広津柳浪 「昇降場」
・・・ 彼の御広間の敷居の内外を争い、御目付部屋の御記録に思を焦し、ふつぜんとして怒り莞爾として笑いしその有様を回想すれば、正にこれ火打箱の隅に屈伸して一場の夢を見たるのみ。しかのみならず今日に至ては、その御広間もすでに湯屋の薪となり、御記録・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・彼女は莞爾ともしないで眼を通した。彼が新聞に出そうと思った広告の下書きであった。『女中雇入れたし。家族二人。余暇有。十八歳以上。給。面談。』 広告は幸応えられた。 二日経って広告が掲載されると其朝、さほ子は、間誤付をかくした・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ どうしてそんな手をしてこの火の気のない室に莞爾としていられるのかと、猶も胴ぶるいをこらえつつ観察したら、その文人の長上着の裏にはすっかり毛皮がつけられていたそうです。私たちも、そんなあんばいにやりとうございますね。 全くあなたがお・・・ 宮本百合子 「裏毛皮は無し」
出典:青空文庫