・・・ 三枚八十カペイキ、三十分の早とり写真屋。菩提樹の茂った樹かげに立てたペンキ画の背景の前の椅子で、赤い布をかぶった女が格子縞のスカートの皺をひっぱっている。 並木通り風景を眺めて昼間のベンチにいるのは9/10までいろんな髪と目の色を・・・ 宮本百合子 「子供・子供・子供のモスクワ」
托児所からはじまる モスクはクレムリとモスク河とをかこんで環状にひろがった都会だ。 内側の並木道と外側の並木道と二かわの古い菩提樹並木が市街をとりまき、鉱夫の帽子についている照明燈みたいな※と円い・・・ 宮本百合子 「砂遊場からの同志」
・・・ 再び公園だ。菩提樹のなかにロシアのイソップ・クルイロフの銅像がある。ひろい斜面に花や草で模様花壇がつくられていた。赤や緑の唐草模様だ。モスクワ劇場広場の大花壇のように星形でも、鎌と鎚とでもない。 ピーター大帝は曲馬場横の妙・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・そこにはひどく古い菩提樹が十五六株生えていた。どの樹の幹にも青苔がついていて、枝は黒く枯れたようにむき出しになっている。そういう菩提樹の一本の根元にサーシャは止った。それから、出目をグリグリ動かして隣の家の窓に人気のないのを見澄してから、根・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ やがて、泥濘とたのしい雨だれの響きで町中が充たされる春の雪解がはじまって、並木の菩提樹が芽立ったと思うと、北の国の春は情熱的に初夏の恍惚とする若緑に育ってゆく。 五月下旬になるとモスクワでもいくらか白夜がはじまって来る。夜の十二時・・・ 宮本百合子 「モスクワ」
・・・秋空が澄んで、大きい菩提樹の梢が気持いい日光の下で黄ばみかけている。 この頃のモスクワと来たら、一ヵ月も見ないともういつの間にか、町角の様子なんかガラリとかわっちまう。新建築の板囲いが出来る。道路拡張で目じるしにしておいたボロ建物がとり・・・ 宮本百合子 「モスクワ日記から」
・・・彼女は歩道の菩提樹のわきへおり、御者台にあおむいて云った。 ――私は約束通り二ルーブリ払うよ。――一ルーブルこまかいのを持ってる? ――三ルーブリより少い金は受けとらない! ――このあたいはよくとも悪いあたいじゃない、私は一コペ・・・ 宮本百合子 「モスクワの辻馬車」
・・・ そこを出て、夢中で、これまで見たことのない菩提樹の並木の間を、町の方へ走った。心のうちには、「どうも己には分からない、どうも己には分からない」と云い続けているのである。 初めての郵便車が停車場へ向いて行くのに出逢って、フィンクは始・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
出典:青空文庫