・・・前日来の病もまだ全くは癒えぬにこの旅亭に一夜の寒気を受けんこと気遣わしくやや落胆したるがままよこれこそ風流のまじめ行脚の真面目なれ。 だまされてわるい宿とる夜寒かな つぐの日まだき起き出でつ。板屋根の上の滴るばかりに沾いたるは昨・・・ 正岡子規 「旅の旅の旅」
・・・勇吉やおしまは、少からず落胆せずにはいられなかった。勇吉達は生来の働きてだから、もち論身体の弱い野良仕事にも出られないような若者を家に入れるはずはない。充分野良のかせぎは出来て、厄介な、一年二年兵隊にとられることだけは免れそうな若者という念・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
・・・自分の裡に在る一部の傾向で理想化した女性の概念を直今日の事実に持って来て、それと符合しない処ばかりを強調して感じ失望したり、落胆したりしていたのである。 一口に云えば、自分は「人」から思想を抽象するのではなく、逆に、思想を人に割当て、或・・・ 宮本百合子 「概念と心其もの」
・・・「食い辛棒落胆の光景かね」「いやなひと!」 三人は、がらんとした広間の空気に遠慮して低く笑った。「寂しくって、大きな声で笑いも出来ない。いやんなっちゃうな」「まあそう云わずにいらっしゃい、今に何とかなるだろうから」 ・・・ 宮本百合子 「三鞭酒」
・・・彼女は、なほ子を落胆させまいとして云った。「明日にでもなれば、きっと味が出るだろう」 父親と二人になった時、なほ子は本気になって専門医に見せることを勧めた。「何でも糖尿病と更年期に押しつけて置いて、ほんとに手後れにでもなったら大・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・遠くだと落胆なさるといけないから」「そうお、私困ったわ、父様が九州へいらっしゃると云ってしまってよ、もう」「変だね、始めて聞くように云っていらしったよ」「じゃあお忘れになったのよ、却ってよかったわ」 父の旅行先には、毎日夕刻・・・ 宮本百合子 「祖母のために」
・・・ お石は、腹のしんが皆抜けてしまったように、落胆した。暫くポカンとした顔で亭主を見ていた彼女は、やがて気をとりなおすと一緒に、今まで嘗てこんなに怒ったことはないほどの激しい憤りを爆発させた。 半夢中になって、彼をまるで猫や犬のように・・・ 宮本百合子 「禰宜様宮田」
・・・借金をしてまでの大望が娘によって裏切られた落胆についても、母はそれを率直にありのままは話さず、娘の大成のためには金銭をおしまず、堅忍をもって耐える母という風に道徳化して語った。それが又私の心に体の震えるような憎悪を呼び起すのであった。そうい・・・ 宮本百合子 「母」
・・・ようようその場を取り繕って寺を出たが、皆忌々しがる中に、宇平は殊に落胆した。 一行は福田、小川等に礼を言って長崎を立って、大村に五日いて佐賀へ出た。この時九郎右衛門が足痛を起して、杖を衝いて歩くようになった。筑後国では久留米を五日尋ねた・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・そうして単にそれが無いというのみでなく、さらに反伎楽面的なものを見いだして落胆したのであった。その時「浅ましい」という言葉で言い現わしたのは、病的、変態的、頽廃的な印象である。伎楽面的な美を標準にして見れば、能面はまさにこのような印象を与え・・・ 和辻哲郎 「能面の様式」
出典:青空文庫