・・・ 中村少佐は話し続けた。「閣下は今夜も七時から、第×師団の余興掛に、寄席的な事をやらせるそうだぜ。」「寄席的? 落語でもやらせるのかね?」「何、講談だそうだ。水戸黄門諸国めぐり――」 穂積中佐は苦笑した。が、相手は無頓着に、・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・ しかし可加減な話だ、今時そんなことがある訳のものではないと、ある人が一人の坊さんに申しますと、その坊さんは黙って微笑みながら、拇指を出して見せました、ちと落語家の申します蒟蒻問答のようでありますけれども、その拇指を見せたのであります。・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・であって、驚くべき奇才であるとは認めていたが、正直正太夫という名からして寄席芸人じみていて何という理由もなしに当時売出しの落語家の今輔と花山文を一緒にしたような男だろうと想像していた。尤もこういう風采の男だとは多少噂を聞いていたが、会わない・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・ 九段の坂下の近角常観の説教所は本とは藤本というこの辺での落語席であった。或る晩、誰だかの落語を聴きに行くと、背後で割れるような笑い声がした。ドコの百姓が下らぬ低級の落語に見っともない大声を出して笑うのかと、顧盻って見ると諸方の演説会で・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・忘れもしねえが、何でもあれは清元の師匠の花見の時だっけ、飛鳥山の茶店で多勢芸者や落語家を連れた一巻と落ち合って、向うがからかい半分に無理強いした酒に、お前は恐ろしく酔ってしまって、それでも負けん気で『江戸桜』か何か唄って皆をアッと言わせた、・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・いわゆる月足らずで、世間にありがちな生れだったけれど、よりによって生れる十月ほど前、落語家の父が九州巡業に出かけて、一月あまり家をあけていたことがあり、普通に日を繰ってみて、その留守中につくった子ではないかと、疑えば疑えぬこともない。それか・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・新派の芝居や喜劇や放送劇や浪花節や講談や落語や通俗小説には、一種きまりきった百姓言葉乃至田舎言葉、たとえば「そうだんべ」とか「おら知ンねえだよ」などという紋切型が、あるいは喋られあるいは書かれて、われわれをうんざりさせ、辟易させ、苦笑させる・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
・・・道頓堀からの食傷通路と、千日前からの落語席通路の角に当っているところに「めをとぜんざい」と書いた大提灯がぶら下っていて、その横のガラス箱の中に古びたお多福人形がにこにこしながら十燭光の裸の電灯の下でじっと坐っているのである。暖簾をくぐって、・・・ 織田作之助 「大阪発見」
・・・おれはお前に金を掴まして置いて、さっさと逃げようと考えた。落語に出て来る狸みたいに……。その機会はやがて来た。 ――さすがのジャーナリズムもその非を悟ったか、川那子メジシンの誇大広告の掲載を拒絶するに至った……。 お前はすぐ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・ 隊で逆立ちの一番下手なのは、大学出の白崎恭助一等兵だったから、白崎は落語家出身で浪花節の巧い赤井新次一等兵と共に、常に隊長の酒の肴になっていた。 おかげで、白崎は大学で覚えたことをすっかり忘れてしまうくらい、毎日逆立ちをやらされ、・・・ 織田作之助 「昨日・今日・明日」
出典:青空文庫