・・・白き鞭をもって示して曰く、変更の議罷成らぬ、御身等、我が処女を何と思う、海老茶ではないのだと。 木像、神あるなり。神なけれども霊あって来り憑る。山深く、里幽に、堂宇廃頽して、いよいよ活けるがごとくしかるなり。明治四十四年六月・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・かの海老茶袴は、最もよくこれ等の弱点を曝露して居るものといわねばならぬ。 また同じ鼈甲を差して見ても、差手によって照が出ない。其の人の品なり、顔なりが大に与って力あるのである。 すべての色の取り合わせなり、それから、櫛なり簪なり、と・・・ 泉鏡花 「白い下地」
・・・兄たちの学校も近かったから、海老茶色の小娘らしい袴に学校用の鞄で、末子をもその宿屋から通わせた。にわかに夕立でも来そうな空の日には、私は娘の雨傘を小わきにかかえて、それを学校まで届けに行くことを忘れなかった。 私たち親子のものは、足掛け・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・「戦争の影響かしら」「無論それもある。それから、君、電車が出来て交通は激しくなる――市区改正の為にどしどし町は変る――東京は今、革命の最中だ」「海老茶も勢力に成ったね」と原は思出したように。「うん海老茶か」と相川は考深い眼付・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・ たいてい洋服で、それもスコッチの毛の摩れてなくなった鳶色の古背広、上にはおったインバネスも羊羹色に黄ばんで、右の手には犬の頭のすぐ取れる安ステッキをつき、柄にない海老茶色の風呂敷包みをかかえながら、左の手はポッケットに入れている。・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・女生の海老茶袴が目立って見える。船にのるのだか見送りだか二十前後の蝶々髷が大勢居る。端艇へ飛びのってしゃがんで唾をすると波の上で開く。浜を見るとまぶしい。甲板へ上がってボーイに上等はあいているかと問うとあいているとの事、荷物と帽を投げ込んで・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・その服を着て、海老茶色のラシャで底も白フェルトのクツをはいた二十九歳の母が、柔かい鍔びろ経木帽に水色カンレイシャの飾りのついたのをかぶって俥にのって出かけたとき、三人の子供たちと家のものとは、美しさを驚歎してその洋服姿を見送った。若い母は、・・・ 宮本百合子 「菊人形」
・・・ お千代ちゃんは、地味な白絣の紡績の着物に海老茶袴をつけている。 小学校を最優等でお千代ちゃんは卒業し、日比谷公園へ行って市長の褒美を貰った。その時、お千代ちゃんはやっぱり地味な紡績の元禄を着て海老茶袴をつけて出た。新聞が、それを質・・・ 宮本百合子 「毛の指環」
・・・事務所は、離れた低い海老茶色の建物で、周囲の雪がいつも凍っている。今日は雪が氷の上に降った。 白いタイル張りの暖炉があって、上に薬罐がのっている。爺さんがいる。薬罐から湯気が立っている。我々の眼鏡は戸をあけた時曇った。そこで、私共はハガ・・・ 宮本百合子 「シナーニ書店のベンチ」
・・・小学校の一年ぐらいから夏休みになると、海老茶の袴をはいて、その頃は一つ駅でも五分も十分も停る三等列車にのって、窓枠でハンカチに包んだ氷をかいてはしゃぶりながら、その田舎へ出かけて行った。 毎年毎年、その東北の村で見ていた印象がたたまって・・・ 宮本百合子 「「処女作」より前の処女作」
出典:青空文庫