・・・ で、密と離れた処から突ッ込んで、横寄せに、そろりと寄せて、這奴が夢中で泳ぐ処を、すいと掻きあげると、つるりと懸かった。 蓴菜が搦んだようにみえたが、上へ引く雫とともに、つるつると辷って、もう何にもなかった。「鮹の燐火、退散だ」・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・濡れた肩を絞って、雫の垂るのが、蓴菜に似た血のかたまりの、いまも流るるようである。 尖った嘴は、疣立って、なお蒼い。「いたましげなや――何としてなあ。対手はどこの何ものじゃの。」「畜生!人間。」「静に――」 ごぼりと咳い・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・うぐいと蓴菜の酢味噌。胡桃と、飴煮の鮴の鉢、鮴とせん牛蒡の椀なんど、膳を前にした光景が目前にある。……「これだけは、密と取りのけて、お客様には、お目に掛けませんのに、どうして交っていたのでございましょうね。」――「いや、どうもそ・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・蒸されるような暑苦しい谷間の坂道の空気の中へ、ちょうど味噌汁の中に入れた蓴菜のように、寒天の中に入れた小豆粒のように、冷たい空気の大小の粒が交じって、それが適当な速度でわれわれの皮膚を撫でて通るときにわれわれは正真正銘の涼しさを感じるらしい・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・ 去年の正月ある人に呼ばれて東京一流の料亭で御馳走になったときに味わった雑煮は粟餅に松露や蓴菜や青菜や色々のものを添えた白味噌仕立てのものであったが、これは生れてから以来食った雑煮のうちでおそらく一番上等で美味な雑煮であったろうと思われ・・・ 寺田寅彦 「新年雑俎」
出典:青空文庫