・・・ 蒼味を帯びた薄明が幾個ともなく汚点のように地を這って、大きな星は薄くなる、小さいのは全く消えて了う。ほ、月の出汐だ。これが家であったら、さぞなア、好かろうになアと…… 妙な声がする。宛も人の唸るような……いや唸るのだ。誰か同じく脚・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・ 主人が大きい藁ぐつをはいて、きのう降りつもったばかりの雪を踏みかため踏みかため路をつくってくれて、そのあとから嘉七、かず枝がついて行き、薄明の谷川へ降りていった。主人が持参した蓙のうえに着物を脱ぎ捨て、ふたり湯の中にからだを滑り込ませ・・・ 太宰治 「姥捨」
・・・くべき一条の光りの路がいよいよ間違い無しに触知せられたような大歓喜の気分になり、涙が気持よく頬を流れて、そうして水にもぐって眼をひらいてみた時のように、あたりの風景がぼんやり緑色に烟って、そうしてその薄明の漾々と動いている中を、真紅の旗が燃・・・ 太宰治 「トカトントン」
・・・ 眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。きょうは是非とも、あの王に、人の信実の存するところを見せてやろう。そうして笑っ・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・ 翌る朝、薄明のうちにもう起きて、そっと鏡台に向って、ああと、うめいてしまいました。私は、お化けでございます。これは、私の姿じゃない。からだじゅう、トマトがつぶれたみたいで、頸にも胸にも、おなかにも、ぶつぶつ醜怪を極めて豆粒ほども大きい・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・その薄明の中に、きわめて細かい星くずのような点々が燦爛として青白く輝く、輝いたかと思った瞬間にはもう消えてしまっている。 この星のような光を見る瞬間に突然不思議な幻覚に襲われることがしばしばある。それはちょっと言葉で表わすことのむつかし・・・ 寺田寅彦 「詩と官能」
これが今日のおしまいだろう、と云いながら斉田は青じろい薄明の流れはじめた県道に立って崖に露出した石英斑岩から一かけの標本をとって新聞紙に包んだ。 富沢は地図のその点に橙を塗って番号を書きながら読んだ。斉田はそれを包みの・・・ 宮沢賢治 「泉ある家」
・・・ 稀薄な空気がみんみん鳴っていましたがそれは多分は白磁器の雲の向うをさびしく渡った日輪がもう高原の西を劃る黒い尖々の山稜の向うに落ちて薄明が来たためにそんなに軋んでいたのだろうとおもいます。 私は魚のようにあえぎながら何べんもあたり・・・ 宮沢賢治 「インドラの網」
・・・ やがて太陽は落ち、黄水晶の薄明穹も沈み、星が光りそめ、空は青黝い淵になりました。「ピートリリ、ピートリリ。」と鳴いて、その星あかりの下を、まなづるの黒い影がかけて行きました。「まなづるさん。あたしずゐぶんきれいでせう。」赤いダ・・・ 宮沢賢治 「まなづるとダァリヤ」
・・・もうぼんやりした薄明で内の人の姿は見わけられないが、確に人がい、開けた障子の窓からこっちに向って、今度は手ばたきで答える。「わかりました、じき上ります」という暗号なのだ。それをきくと私は安心して茶の間に戻って来る。そして、小さな女中・・・ 宮本百合子 「田舎風なヒューモレスク」
出典:青空文庫