一 支那の上海の或町です。昼でも薄暗い或家の二階に、人相の悪い印度人の婆さんが一人、商人らしい一人の亜米利加人と何か頻に話し合っていました。「実は今度もお婆さんに、占いを頼みに来たのだがね、――」・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・これは、後で聞いたのでございますが、死骸は、鼻から血を少し出して、頭から砂金を浴びせられたまま、薄暗い隅の方に、仰向けになって、臥ていたそうでございます。「こっちは八坂寺を出ると、町家の多い所は、さすがに気がさしたと見えて、五条京極辺の・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・電燈の消えた薄暗い中で、白いものに包まれたお前たちの母上は、夢心地に呻き苦しんだ。私は一人の学生と一人の女中とに手伝われながら、火を起したり、湯を沸かしたり、使を走らせたりした。産婆が雪で真白になってころげこんで来た時は、家中のものが思わず・・・ 有島武郎 「小さき者へ」
・・・ と女房は早や薄暗い納戸の方を顧みる。 十二「ああ、何だか陰気になって、穴の中を見るようだよ。」 とうら寂しげな夕間暮、生干の紅絹も黒ずんで、四辺はものの磯の風。 奴は、旧来た黍がらの痩せた地蔵の姿し・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 手拭を頭に巻きつけ筒袖姿の、顔はしわだらけに手もやせ細ってる姉は、無い力を出して、ざくりざくり桑を大切りに切ってる。薄暗い心持ちがないではない。お光さんは予には従姉に当たる人の娘である。 翌日は姉夫婦と予らと五人つれ立って父の墓参・・・ 伊藤左千夫 「紅黄録」
・・・の袋をかぶせた時の薄暗い室の、薄暗い肌のにおいを運んで、われながら箸がつけられなかった。 僕の考え込んだ心は急に律僧のごとく精進癖にとじ込められて、甘い、楽しい、愉快だなどというあかるい方面から、全く遮断されたようであった。 ふと、・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・この人の顔さえ定かならぬ薄暗い室に端座してベロンベロンと秘蔵の琵琶を掻鳴らす時の椿岳会心の微笑を想像せよ。恐らく今日の切迫した時代では到底思い泛べる事の出来ない畸人伝中の最も興味ある一節であろう。 椿岳の女道楽もまた畸行の一つに数うべき・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ガランとした広い会所の窓ガラスには、赤い夕日がキラキラ輝いたが、その光の届かぬ所はもう薄暗い。 私はまた当もなくそこを出た。するうちに、ボツボツ店明が点きだす。腹もだんだん空いてくる。例のごとく当もなく彷徨歩いていると、いつの間にか町外・・・ 小栗風葉 「世間師」
・・・ やがて軽井沢につき、沓掛をすぎ、そして追分についた。 薄暗い駅に降り立つと、駅員が、「信濃追分! 信濃追分!」 振り動かすカンテラの火の尾をひくような、間のびした声で、駅の名を称んでいた。乗って来た汽車をやり過して、線路を・・・ 織田作之助 「秋の暈」
・・・ ふッと眼が覚めると、薄暗い空に星影が隠々と見える。はてな、これは天幕の内ではない、何で俺は此様な処へ出て来たのかと身動をしてみると、足の痛さは骨に応えるほど! 何さまこれは負傷したのに相違ないが、それにしても重傷か擦創かと、傷・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫