ふじたこしろう【藤田小四郎】
[1842〜1865]江戸末期の志士。水戸藩士。東湖の四男。名は信。幕府の攘夷 (じょうい) 延期を不満として筑波山で挙兵。上洛の途中で降伏し処刑された。→筑波山事件
ふじたつぐはる【藤田嗣治】
[1886〜1968]洋画家。東京の生まれ。渡仏し、エコール‐ド‐パリの一員として名をなした。乳白色の地に面相筆で線描する独自の画風で知られる。第二次大戦後、フランスに帰化。のち、カトリックの洗礼を受け、レオナール=フジタと称した。
ふじたでんざぶろう【藤田伝三郎】
[1841〜1912]実業家。山口の生まれ。明治維新後、陸軍用達業者となり、西南戦争で巨利を得て藤田組を創設。鉱業を主に多数の事業を行った。
ふじたとうこ【藤田東湖】
[1806〜1855]江戸末期の儒学者。水戸藩士。幽谷 (ゆうこく) の二男。名は彪 (たけき) 。通称、虎之助。藩主徳川斉昭のもとで藩政改革に尽力。また、その思想は尊王攘夷運動に大きな影響を与えた。安政の大地震で圧死。著「正気歌 (せいきのうた) 」「回天詩史」など。
ふじたとしや【藤田敏八】
[1932〜1997]映画監督・俳優。朝鮮の生まれ。「非行少年・陽の出の叫び」で監督デビュー。やりきれない閉塞感 (へいそくかん) を抱えた若者の姿を描き、若年層の共感を得た。代表作「八月の濡 (ぬ) れた砂」「赤ちょうちん」「スローなブギにしてくれ」など。また、鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」に出演するなど、俳優としても高く評価された。
ふじたとよはち【藤田豊八】
[1869〜1929]東洋史学者。徳島の生まれ。早大・東大・台北大教授を歴任。号、剣峰。著「東西交渉史研究」など。
ふじたのぶお【藤田信男】
[1903〜1991]野球監督。中国の生まれ。昭和4年(1929)から13年間法大野球部の監督。のち日本アマチュア野球国際委員など要職を歴任し、日本の学生野球の発展に貢献した。
ふじたまこと【藤田まこと】
[1933〜2010]俳優。東京の生まれ。本名、原田真 (まこと) 。歌手や司会を経て、コメディアンとしてテレビ界入り。主演した時代劇「てなもんや三度笠」が高視聴率を上げ、人気を集めた。その後も「必殺」シリーズなどのヒット作に出演。映画や舞台でも活躍した。平成14年(2002)紫綬褒章受章。
ふじたもとし【藤田元司】
[1931〜2006]プロ野球選手・監督。愛媛の生まれ。慶大、日本石油で投手としてプレーしたのち、昭和32年(1957)巨人入団。選手期間は8年と短いものの、最多勝利をあげるなど活躍。のち同球団の監督を務め、リーグ優勝4回、日本一2回。
ふじたゆうこく【藤田幽谷】
[1774〜1826]江戸後期の儒学者。水戸藩士。名は一正。通称、次郎左衛門。立原翠軒に学び、「大日本史」編集に加わり、彰考館総裁となった。門下に尊王攘夷派の志士が多く出た。著「正名論」「勧農或問」など。