・・・そして、人間が醜怪なる実存である限り、いかなるヴェールも虚偽であり、偽善であるとしたのだ。日本の少数の作家も肉体を描く。しかし、描かれた肉体は情緒のヴェールをかぶり、観念のヴェールをかぶり、あるいは文学青年的思考のデカダンスが、描かれた肉体・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・「結果は頓着しません、源因を虚偽に置きたくない。習慣の上に立つ遊戯的研究の上に前提を置きたくない。「ヤレ月の光が美だとか花の夕が何だとか、星の夜は何だとか、要するに滔々たる詩人の文字は、あれは道楽です。彼等は決して本物を見てはいない・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・あるものは持って廻った捏造物だ、あるものは虚偽矯飾の申しわけだ、あるものは楯の半面に過ぎず、あるものはただの空華幻象に過ぎない。自分の知識が白い光をその上に投げると、これらのものは皆その粉塗していた色を失ってしまう、散文化し方便化してしまう・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・断片と断片の間をつなごうとして、あの思想家たちは、嘘の白々しい説明に憂身をやつしているが、俗物どもには、あの間隙を埋めている悪質の虚偽の説明がまた、こたえられずうれしいらしく、俗物の讃歎と喝采は、たいていあの辺で起るようだ。全くこちらは、い・・・ 太宰治 「苦悩の年鑑」
・・・デイアボロス、ベリアル、ベルゼブル、悪鬼の首、この世の君、この世の神、訴うるもの、試むる者、悪しき者、人殺、虚偽の父、亡す者、敵、大なる竜、古き蛇、等である。以下は日本に於ける唯一の信ずべき神学者、塚本虎二氏の説であるが、「名称に依っても、・・・ 太宰治 「誰」
・・・ この映画の頂点はヒロインが舞台で衣裳をかなぐり捨てブロンドのかつらを叩きつけて煩わしい虚偽の世界から自由な真実の天地に躍り出す場面であって、その前のすべてのストーリーはこの頂点へ導くための設計であるように見える。一九〇九年型の女優が一・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(5[#「5」はローマ数字、1-13-25])」
・・・科学の理論に用いらるる方便仮説が現実と精密に一致しなくてもさしつかえがないならば、いわゆる絵そら事も少しも虚偽ではない。分子の集団から成る物体を連続体と考えてこれに微分方程式を応用するのが不思議でなければ、色の斑点を羅列して物象を表わす事も・・・ 寺田寅彦 「科学者と芸術家」
・・・この社会の人の持っている諸有る迷信と僻見と虚偽と不健康とを一つ残らず遺伝的に譲り受けている。お召の縞柄を論ずるには委しいけれど、電車に乗って新しい都会を一人歩きする事なぞは今だに出来ない。つまり明治の新しい女子教育とは全く無関係な女なのであ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・それはよほどハイカラです、宜しくない。虚偽でもある。軽薄でもある。自分はまだ煙草を喫っても碌に味さえ分らない子供の癖に、煙草を喫ってさも旨そうな風をしたら生意気でしょう。それをあえてしなければ立ち行かない日本人はずいぶん悲酸な国民と云わなけ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・あの山を上るところなどは一起一仆ことごとく誇張と虚偽である。鬘の上から水などを何杯浴びたって、ちっとも同情は起らない。あれを真面目に見ているのは、虚偽の因襲に囚われた愚かな見物である。○立ち廻りとか、だんまりとか号するものは、前後の筋に・・・ 夏目漱石 「明治座の所感を虚子君に問れて」
出典:青空文庫