・・・ いや、話していないどころか、あたかも蟹は穴の中に、臼は台所の土間の隅に、蜂は軒先の蜂の巣に、卵は籾殻の箱の中に、太平無事な生涯でも送ったかのように装っている。 しかしそれは偽である。彼等は仇を取った後、警官の捕縛するところとなり、・・・ 芥川竜之介 「猿蟹合戦」
・・・――殿中では忽ち、蜂の巣を破ったような騒動が出来した。 それから、一同集って、手負いを抱きあげて見ると、顔も体も血まみれで誰とも更に見分ける事が出来ない。が、耳へ口をつけて呼ぶと、漸く微な声で、「細川越中」と答えた。続いて、「相手はどな・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・東京に行った隣の友吉の姿も、寺の御堂にかゝっている蜂の巣も、或る夕暮方、見た六部の姿を考えるとなしに、じっと一点に集って葉の上に光っている太陽の焼点の中に映っているような気がした。で、自分は、其の光りの中に集っている其等の一つ一つの姿や、記・・・ 小川未明 「感覚の回生」
・・・彼は又、生きた蛙を捕えて、皮を剥ぎ、逆さに棒に差し、蛙の肉の一片に紙を添えて餌をさがしに来る蜂に与え、そんなことをして蜂の巣の在所を知ったことを思出した。彼は都会の人の知らない蜂の子のようなものを好んで食ったばかりでなく、田圃側に葉を垂れて・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・庭の五株の霧島躑躅の花はそれぞれ蜂の巣のように咲きこごっていた。紅梅は花が散ってしまっていて青青した葉をひろげ、百日紅は枝々の股からささくれのようなひょろひょろした若葉を生やしていた。雨戸もしまっていた。僕は軽く二つ三つ戸をたたき、木下さん・・・ 太宰治 「彼は昔の彼ならず」
・・・腕をこまぬいて頭を垂れ、ぼんやり佇んでいようものなら、――一瞬間でも、懐疑と倦怠に身を任せようものなら、――たちまち玄翁で頭をぐゎんとやられて、周囲の殺気は一時に押し寄せ、笠井さんのからだは、みるみる蜂の巣になるだろう。笠井さんには、そう思・・・ 太宰治 「八十八夜」
・・・蝦。蜂の巣。苺。蟻。蓮の実。蠅。うろこ。みんな、きらい。ふり仮名も、きらい。小さい仮名は、虱みたい。グミの実、桑の実、どっちもきらい。お月さまの拡大写真を見て、吐きそうになったことがあります。刺繍でも、図柄に依っては、とても我慢できなくなる・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・それは蜂の巣である。 私が始めてこの蜂の巣を見付けたのは、五月の末頃、垣の白薔薇が散ってしまって、朝顔や豆がやっと二葉の外の葉を出し始めた頃であったように記憶している。花の落ちた小枝を剪っているうちに気が付いて、よく見ると、大きさはやっ・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・「春雨や蜂の巣つとう屋ねの漏り」を例にとってみよう。これは表面上は純粋な客観的事象の記述に過ぎない。しかし少なくも俳句を解する日本人にとっては、この句は非常に肉感的である。われわれの心の皮膚はかなり鋭い冷湿の触感を感じ、われわれの心の鼻はか・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ 私はこの蜂の巣を見付けたい、そしてこの珍奇な虫の団子がそこでいかに処理されるかを知りたいものだと思っている。 虫の行為はやはり虫の行為であって、人間とは関係はない事である。人として虫に劣るべけんやというような結論は今日では全く・・・ 寺田寅彦 「蜂が団子をこしらえる話」
出典:青空文庫