・・・べら棒に高くて、あたら無数の宝物、お役所の、青ペンキで塗りつぶされたるトタン屋根の倉庫へ、どさんとほうり込まれて、ぴしゃんと錠をおろされて、それっきり、以来、十箇月、桜の花吹雪より藪蚊を経て、しおから蜻蛉、紅葉も散り、ひとびと黒いマント着て・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・ 子供の時分に蜻蛉を捕るのに、細い糸の両端に豌豆大の小石を結び、それをひょいと空中へ投げ上げると、蜻蛉はその小石を多分餌だと思って追っかけて来る。すると糸がうまい工合に虫のからだに巻き付いて、そうして石の重みで落下して来る。あれも参考に・・・ 寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」
・・・そこには蒲や菱が叢生し、そうしてわれわれが「蝶々蜻蛉」と名付けていた珍しい蜻蛉が沢山に飛んでいた。このとんぼはその当時でも他処ではあまり見たことがなく、その後他国ではどこでも見なかった種類のものである。この濠はあまり人の行かないところであっ・・・ 寺田寅彦 「郷土的味覚」
・・・時の長短という事はもちろん相対的な意味しかない。蜉蝣の生涯も永劫であり国民の歴史も刹那の現象であるとすれば、どうして私はこの活動映画からこんなに強い衝動を感じたのだろう。 われわれがもっている生理的の「時」の尺度は、その実は物の変化の「・・・ 寺田寅彦 「春六題」
・・・傘の下小原女の五人揃ふて袷かな照射してさゝやく近江八幡かな葉うら/\火串に白き花見ゆる卓上の鮓に眼寒し観魚亭夕風や水青鷺の脛を打つ四五人に月落ちかゝる踊かな日は斜関屋の槍に蜻蛉かな柳散り清水涸れ石ところ/″\・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・「また人間でない動物でもね、たとえば馬でも、牛でも、鶏でも、なまずでも、バクテリヤでも、みんな死ななけぁいかんのだ。蜉蝣のごときはあしたに生れ、夕に死する、ただ一日の命なのだ。みんな死ななけぁならないのだ。だからお前も私もいつか、きっと・・・ 宮沢賢治 「フランドン農学校の豚」
・・・母親も油井もいやで、がっかりして、風も身に沁みる、空の高さも、そこに飛び交う蜻蛉も身に沁みる。魂が空気の中にむきだしになっていた。 長い時間が経った。 みのえは、背後で荒っぽく草を歩みしだく跫音を聞いた。みのえは自分の場所からその方・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
出典:青空文庫