・・・同時におれの口の中には、もう一度血潮が溢れて来る。おれはそれぎり永久に、中有の闇へ沈んでしまった。……… 芥川竜之介 「藪の中」
・・・ あるじが落着いて静にいうのを、お民は激しく聞くのであろう、潔白なるその顔に、湧上るごとき血汐の色。「切迫詰って、いざ、と首の座に押直る時には、たとい場処が離れていても、きっと貴女の姿が来て、私を助けてくれるッて事を、堅くね、心の底・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・ と見れば雪の寒紅梅、血汐は胸よりつと流れて、さと白衣を染むるとともに、夫人の顔はもとのごとく、いと蒼白くなりけるが、はたせるかな自若として、足の指をも動かさざりき。 ことのここに及べるまで、医学士の挙動脱兎のごとく神速にしていささ・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・が、それでないと、湯気のけはいも、血汐が噴くようで、凄じい。 雪次郎はハッと立って、座敷の中を四五度廻った。――衝と露台へ出る、この片隅に二枚つづきの硝子を嵌めた板戸があって、青い幕が垂れている。晩方の心覚えには、すぐその向うが、おなじ・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・ために、疵つき、指さき腕など血汐浸――畜生――畜生――畜生――畜生――人形使 ううむ、(幽に呻ううむ、そうだ、そこだ。ちっと、へい、応えるぞ。ううむ、そうだ。まだだまだだ。夫人 これでもかい。これでもかい、畜生。人形使 そ、そん・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ 萎れた草花が水を吸い上げて生気を得たごとく、省作は新たなる血潮が全身にみなぎるを覚えて、命が確実になった心持ちがするのである。「失態も糸瓜もない。世間の奴らが何と言ったって……二人の幸福は二人で作る、二人の幸福は二人で作る、他人の・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・空を血潮のように染めて、赤い夕日は、幾たびか、波の間に沈んだけれど、若者の船は、もどってきませんでした。はすっぱの娘は、はじめのうちこそ、その帰りを待ったけれど、生死がわからなくなると、はやくも、あきらめてしまいました。なぜなら、秋から、冬・・・ 小川未明 「海のまぼろし」
・・・ 大きく盆のようなのが、黒々と見ゆる山査子の枝に縦横に断截られて血潮のように紅に、今日も大方熱い事であろう。それにつけても、隣の――貴様はまア何となる事ぞ? 今でさえ見るも浅ましいその姿。 ほんに浅ましい姿。髪の毛は段々と脱落ち、地体が・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・の話になると、われ知らず、青春の血潮が今ひとたびそのほおにのぼり、目もかがやき、声までがつやをもち、やさしや、涙さえ催されます。 私が来た十九の時でした、城北大学といえば今では天下を三分してその一を保つとでも言いそうな勢いで、校舎も立派・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・「ロックや、ヒュームやカントが作りあげた認識主観の脈管には現実赤い血潮が通っているのでなくて、単に思惟活動として、理性の稀薄な液汁が流れているのみである」この紅い血潮は意志し、感じ表象する「全人」の立場からのみくみとることができる。「生」は・・・ 倉田百三 「学生と教養」
出典:青空文庫