・・・この聖徒は太い血管の中に水夫の血を流していました。が、唇をごらんなさい。砒素か何かの痕が残っています。第七の龕の中にあるのは……もうあなたはお疲れでしょう。ではどうかこちらへおいでください。」 僕は実際疲れていましたから、ラップといっし・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・そのなよなよした姿のほほえみが血球となって、僕の血管を循環するのか、僕は筋肉がゆるんで、がッかり疲労し、手も不断よりは重く、足も常よりは倦怠いのをおぼえた。 僕の過敏な心と身体とは荒んでいるのだ。延びているのだ。固まっていた物が融けて行・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・彼の血管に流るるユグノー党の血はこの時にあたって彼をして平和の天使たらしめました。他人の失望するときに彼は失望しませんでした。彼は彼の国人が剣をもって失ったものを鋤をもって取り返さんとしました。今や敵国に対して復讐戦を計画するにあらず、鋤と・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ 紅潮した身体には細い血管までがうっすら膨れあがっていました。両腕を屈伸させてぐりぐりを二の腕や肩につけて見ました。鏡のなかの私は私自身よりも健康でした。私は顔を先程したようにおどけた表情で歪ませて見ました。 Hysterica P・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・ 一週間ばかり外米混入の飯を食いつづけた後、一日だけまぜものなしの内地米に戻ると、はじめて本当に身につくものを食った感じで、その身につくものが快よく胃の腑から直ちに血管にめぐって行くようで、子供らは、なんばいもなんばいも茶碗を出すのであ・・・ 黒島伝治 「外米と農民」
・・・人間も、そこでは、自然と、山の刺戟に血が全身の血管に躍るのだった。 虹吉は――僕の兄だ――そこで女を追っかけまわしていた。僕が、まだ七ツか八ツの頃である。そこで兄は、さきの妻のトシエと、笹の刈株で足に踏抜きをこしらえ、臑をすりむきなどし・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・血は血管の中で螺旋して流れているのだよ。酒樽の口から酒は螺旋して出るよ。腸は即ち螺線をなしてるのサ。川はやや平面的に螺線をなして流れる。山脈は螺線さ。木の枝は一つが東に向ッて生える、その上の枝は南それから西北という工合に螺旋している。花を能・・・ 幸田露伴 「ねじくり博士」
・・・その未見の親友の、純粋なるくやしさが、そのまま私の血管にも移入された。私は家へかえって、原稿用紙をひろげた。『私は無頼の徒ではない。』具体的に言って呉れ。私は、どんな迷惑をおかけしたか。私は借銭をかえさなかったことはない。私は、ゆえなく人の・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・そのような事でさえ彼の血管へ一滴の毒液を注射するくらいな効果があった。二人が帰って後にぼんやり机の前にすわったきりで、その事ばかり考えていた。そういう時には彼の口中はすっかりかわき上がって、手の指がふるえていた。そうして目立って食欲が減退す・・・ 寺田寅彦 「球根」
・・・しかしA博士の研究によると、日本人は血管の分布のしかただけから見ても明らかに西洋人とちがった特徴をもっているそうである。言わば違った動物なのである。昔の攘夷論者は西洋人を獣類の一種と思っていた。今の米国人の中にでも黒人は人間と思っていない仲・・・ 寺田寅彦 「空想日録」
出典:青空文庫