・・・この故に万人に共通する悲劇は排泄作用を行うことである。 強弱 強者とは敵を恐れぬ代りに友人を恐れるものである。一撃に敵を打ち倒すことには何の痛痒も感じない代りに、知らず識らず友人を傷つけることには児女に似た恐怖を感ずるも・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ 奉行「伝授するには、いかなる儀式を行うたぞ。」 吉助「御水を頂戴致いてから、じゅりあのと申す名を賜ってござる。」 奉行「してその紅毛人は、その後いずこへ赴いたぞ。」 吉助「されば稀有な事でござる。折から荒れ狂うた浪を踏んで・・・ 芥川竜之介 「じゅりあの・吉助」
・・・天魔には世尊御出世の時から、諸悪を行うと云う戒行がある。もし岩殿の神の代りに、天魔があの祠にいるとすれば、少将は都へ帰る途中、船から落ちるか、熱病になるか、とにかくに死んだのに相違ない。これが少将もあの女も、同時に破滅させる唯一の途じゃ。が・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・この中でも本を読もうと云うのは奇蹟を行うのと同じことである。奇蹟は彼の職業ではない。美しい円光を頂いた昔の西洋の聖者なるものの、――いや、彼の隣りにいるカトリック教の宣教師は目前に奇蹟を行っている。 宣教師は何ごとも忘れたように小さい横・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ 奥井から壱岐殿坂へ移って、紳士風が抜けて書生風となってからもやはり相当に見識を取っていて、時偶は鄙しい事を口にしても決して行う事はなかった。かつ中学へ通う小さい弟と一緒に暮していたから自然謹慎していた。緑雨の耽溺方面の消息は余り知らぬ・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・文部省の文芸審査に就て兎角の議論をする人があるが政府は万能で無いから政府の行う処必ずしも正鵠では無い。且文芸上の作品の価値は区々の秤尺に由て討議し、又選票の多寡に由て決すべきもので無いから、文芸審査の結果が意料外なるべきは初めから予察せられ・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・それで人に頼らずともわれわれが神にたより己にたよって宇宙の法則に従えば、この世界はわれわれの望むとおりになり、この世界にわが考えを行うことができるという感覚が起ってくる。二宮金次郎先生の事業は大きくなかったけれども、彼の生涯はドレほどの生涯・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・若しこの社会の有力なる識者が、真に母が子供に対する如き無窮の愛と、厳粛さとを有って行うのであれば宜しいけれども、そうでないならば寧ろ自然の儘に放任して置くに如かぬ、彼等の多くは愛を誤解している。 茲に苦しんでいる人間があるとする。それを・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・知れば、必ず行うという本能を持つ児童等に、架空的なお伽噺や、道徳談が、どれだけの役割を果し得ると考えられるでありましょうか。 こゝに、たゞ一つ、児童を愛する作家があります。各階級層を通じて、本能的に生育しつつある児童の生活を見、理論でな・・・ 小川未明 「新童話論」
・・・着観念を、猫も杓子も持っていて、私はそんな定評を見聴きするたびに、ああ大阪は理解されていないと思うのは、実は大阪人というものは一定の紋切型よりも、むしろその型を破って、横紙破りの、定跡外れの脱線ぶりを行う時にこそ真髄の尻尾を発揮するのであっ・・・ 織田作之助 「大阪の可能性」
出典:青空文庫