・・・と云いかけながら、急に皮肉な調子になって、「今宵は、御行水も遊ばされず、且つ女人の肌に触れられての御誦経でござれば、諸々の仏神も不浄を忌んで、このあたりへは現ぜられぬげに見え申した。されば、翁も心安う見参に入り、聴聞の御礼申そう便宜を、得た・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・ 年増のごときは、「さあ、水行水。」 と言うが早いか、瓜の皮を剥くように、ずるりと縁台へ脱いで赤裸々。 黄色な膚も、茶じみたのも、清水の色に皆白い。 学生は面を背けた。が、年増に限らぬ……言合せたように皆頭痛膏を、こめか・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・さてとよ……生肝を取って、壺に入れて、組屋敷の陪臣は、行水、嗽に、身を潔め、麻上下で、主人の邸へ持って行く。お傍医師が心得て、……これだけの薬だもの、念のため、生肝を、生のもので見せてからと、御前で壺を開けるとな。……血肝と思った真赤なのが・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ 翁が、ふたふたと手を拍いて、笑い、笑い、「漁師町は行水時よの。さらでもの、あの手負が、白い脛で落ちると愍然じゃ。見送ってやれの――鴉、鴉。」 かあ、かあ。ひょう、ひょう。 かあ、かあ。ひょう、ひょう・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・ 時に一縷の暗香ありて、垣の内より洩れけるにぞ法師は鼻を蠢めかして、密に裡を差覗けば、美人は行水を使いしやらむ、浴衣涼しく引絡い、人目のあらぬ処なれば、巻帯姿繕わで端居したる、胸のあたりの真白きに腰の紅照添いて、眩きばかり美わしきを、蝦・・・ 泉鏡花 「妖僧記」
・・・こんなとこイはいって寒雀みたいに行水してたら、風邪ひいてしまうわ」そして私の方へ「あんた、よう辛抱したはりまんな。えらい人やなあ」 曖昧に苦笑してると、男はまるで羽搏くような恰好に、しきりに両手をうしろへ泳がせながら、「失礼でっけど・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・「おのれの姉は、元日に気が触れて、井戸の中で行水しよるわい」「おのれの女房は、眼っかちの子を生みよるわい」 などと、何れも浅ましく口拍子よかった中に、誰やら持病に鼻をわずらったらしいのが、げすっぽい鼻声を張り上げて、「やい、・・・ 織田作之助 「猿飛佐助」
・・・ 政元は行水を使った。あるべきはずの浴衣はなかった。小姓の波ははかべは浴衣を取りに行った。月もない二十三日の夕風は颯と起った。右筆の戸倉二郎というものは突と跳り込んだ。波伯部が帰って来た時、戸倉は血刀を揮って切付けた。身をかわして薄手だ・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・などを製出した話、蓮の葉で味噌を包む新案、「行水舟」「刻昆布」「ちやんぬりの油土器」「しぼみ形の莨入、外の人のせぬ事」で三万両を儲けた話には「いかにはんじやうの所なればとて常のはたらきにて長者には成がたし」などと云っている。どんな行きつまっ・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・小豆色のセーターを着た助手が、水道のホーズから村山貯水池の水を惜気もなく注いで、寝台自動車に冷たい行水を使わせている。流れた水が、灰色のアスファルトの道路に黒くくっきりと雲の絵をかいている。 またある日。 窓の下の森田屋の前で、運転・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
出典:青空文庫