・・・ 彼女が女性である以上、私が衝動を受けることは勿論あり得る。だが、それはこんな場合であってはならない。この女は骨と皮だけになっている。そして永久に休息しようとしている。この哀れな私の同胞に対して、今まで此室に入って来た者共が、どんな残忍・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・女と云うものは本当に衝動的なものでございますね。わたくし達は衝動に騙されて、咄嗟の間にいろんな事をいたします。そしてその時はその動機を認めずにいるのでございます。それを男の方が狡猾だとおっしゃるのでございます。 そこであの手紙を差上げま・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・兵士等大将のエボレット勲章等を見て食せんとするの衝動甚し。大将「間抜けめ、どれもみんなまるで泥人形だ。」脚を重ねて椅子に座す。ポケットより新聞と老眼鏡とを取り出し殊更に顔をしかめつつこれを読む。しきりにゲップす。やがて睡る。・・・ 宮沢賢治 「饑餓陣営」
・・・動物の神経だなんというものはただ本能と衝動のためにあるです。神経なんというのはほんの少ししか働きません。その証拠にはご覧なさい鶏では強制肥育ということをやる、鶏の咽喉にゴム管をあてて食物をぐんぐん押し込んでやる。ふだんの五倍も十倍も押し込む・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・戦争中、非人間的な抑圧に呻いていた気分の反動で、すべての人間としての欲望をのばしたい衝動がある。その半面、経済的な社会生活の現実では、その激しい衝動を順調にみたしてゆく可能が奪われているから、虚無的な刹那的な官能のなかに、生存を確認する、と・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・もう行ってよいのか悪いのか判断しかねて、厚い木綿に着ぶくれた膝の辺を一層もじもじさせて此方を視ているれんの様子は、彼に怒鳴りつけたいような野蛮な衝動を感じさせた。「第一あの切口上が堪らない」彼は心の中でむかついた。「変に黒く光る眼じゃあ・・・ 宮本百合子 「或る日」
・・・ 次に人の目に附いたのは、衝動生活、就中性欲方面の生活を書くことに骨が折ってある事であった。それも西洋の近頃の作品のように色彩の濃いものではない。言わば今まで遠慮し勝ちにしてあった物が、さほど遠慮せずに書いてあるという位に過ぎない。・・・ 森鴎外 「沈黙の塔」
・・・おもちゃが動くおもちゃだと、それを動かす衝動の元を尋ねて見たくなるのである。子供は Physique より Mメタフィジック に之くのである。理学より形而上学に之くのである。 僅か四五ペエジの文章なので、面白さに釣られてとうとう読んでし・・・ 森鴎外 「花子」
・・・その高貴をもって全ヨーロッパに鳴り響いたハプスブルグの女の頭上へ、彼は平民の病いを堂々と押しつけてやりたい衝動を感じ出した。――余は一平民の息子である。余はフランスを征服した。余は伊太利を征服した。余は西班牙とプロシャとオーストリアを征服し・・・ 横光利一 「ナポレオンと田虫」
・・・私はそれを自己と認めたくない衝動にさえ駆られる。しかし私は絶望する心を鞭うって自己を正視する。悲しみのなかから勇ましい心持ちが湧いて出るまで。私の愛は恋人が醜いゆえにますます募るのである。 私は絶えずチクチク私の心を刺す執拗な腹の虫を断・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫