・・・ 出口のところで、フレンチが靴の上に被せるものを捜しているときになって、奥さんはやっと臆病げに口を開いた。「あなた御病気におなりなさりはしますまいね。」 フレンチは怒が心頭より発した。非常なる侮辱をでも妻に加えられたように。・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・そのかわり、この方は山高帽子で――おやおや忘れた――鉄無地の旦那に被せる帽子を。……そこで、小僧のを脱がせて、鳥打帽です。 ――覚えていますが、その時、ちゃら金が、ご新姐に、手づくりのお惣菜、麁末なもの、と重詰の豆府滓、……卯の花を煎っ・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・と云う、和尚が声の幅を押被せるばかり。鼻も大きければ、口も大きい、額の黒子も大入道、眉をもじゃもじゃと動かして聞返す。 これがために、窶れた男は言渋って、「で、ございますから、どうぞ蝋燭はお点し下さいませんように。」「さようか。・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ まあ帰ってからゆっくりと思って、今日見つけた家の少し混み入った条件を行一が話し躊っていると、姑はおっ被せるように「今日は珍しいものを見ましたよ」 それは街の上で牛が仔を産んだ話だった。その牛は荷車を牽く運送屋の牛であった。荷物・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・と手に持った厚紙の蓋を鑵詰へ被せると、箱の中から板切れを出して、それを提げて、得意になって押入の前へ行く。「章ちゃん、もう夜はそんな押入なぞへはいるもんじゃないよ」と小母さんが止めると、「だってお母さん。写真を薬でよくするんじゃあり・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ してみると権力と金力とは自分の個性を貧乏人より余計に、他人の上に押し被せるとか、または他人をその方面に誘き寄せるとかいう点において、大変便宜な道具だと云わなければなりません。こういう力があるから、偉いようでいて、その実非常に危険なので・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
出典:青空文庫