・・・そうしてたった一週間前に買って遣った頭に被る新しい巾を引き裂いた。 それからこの犬は人間というものを信用しなくなって、人が呼んで摩ろうとすると、尾を股の間へ挿んで逃げた。時々はまた怒って人間に飛付いて噛もうとしたが、そんな時は大抵杖で撲・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・曰く、不束なる女ども、猥に卿等の栄顧を被る、真に不思議なる御縁の段、祝着に存ずるものなり。就ては、某の日、あたかも黄道吉辰なれば、揃って方々を婿君にお迎え申すと云う。汗冷たくして独りずつ夢さむ。明くるを待ちて、相見て口を合わするに、三人符を・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・ 白い炎が、影もなく橋にぴたりと寄せた時、水が穂に被るばかりに見えた。 ぴたぴたと板が鳴って、足がぐらぐらとしたので私は飛び退いた。土に下りると、はや其処に水があった。 橋がだぶりと動いた、と思うと、海月は、むくむくと泳ぎ上がっ・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・恩に被るから、何とか一杯。」「おっしゃるな。すぐに算段をしますから。まったく、いやに蒸すことね。その癖、乾き切ってさ。」 とついと立って、「五月雨の……と心持でも濡れましょう。池の菰に水まして、いずれが、あやめ杜若、さだかにそれ・・・ 泉鏡花 「開扉一妖帖」
・・・……羽織は、まだしも、世の中一般に、頭に被るものと極った麦藁の、安値なのではあるが夏帽子を、居かわり立直る客が蹴散らし、踏挫ぎそうにする…… また幕間で、人の起居は忙しくなるし、あいにく通筋の板敷に席を取ったのだから堪らない。膝の上にの・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・茸にもさて、被るものをお授けなさるじゃな。」「違うよ。――お姫様の、めしものを持て――侍女がそう言うだよ。」「何じゃ、待女とは。」「やっぱり、はあ、真白な膚に薄紅のさした紅茸だあね。おなじものでも位が違うだ。人間に、神主様も飴屋・・・ 泉鏡花 「茸の舞姫」
・・・三の烏 すると、人間のした事を、俺たちが引被るのだな。二の烏 かぶろうとも、背負おうとも。かぶった処で、背負った処で、人間のした事は、人間同士が勝手に夥間うちで帳面づらを合せて行く、勘定の遣り取りする。俺たちが構う事は少しもない。・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ 黒の洋服で雪のような胸、手首、勿論靴で、どういう好みか目庇のつッと出た、鉄道の局員が被るような形なのを、前さがりに頂いた。これにてらてらと小春の日の光を遮って、やや蔭になった頬骨のちっと出た、目の大きい、鼻の隆い、背のすっくりした、人・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・ 苦痛の顔の、醜さを隠そうと、裏も表も同じ雪の、厚く、重い、外套の袖を被ると、また青い火の影に、紫陽花の花に包まれますようで、且つ白羽二重の裏に薄萌黄がすッと透るようでした。 ウオオオオ! 俄然として耳を噛んだのは、凄く可恐い、・・・ 泉鏡花 「雪霊続記」
・・・ 私が、いまこゝにいう貧富というのは、絹物を被るものと木綿物を被るものと、もしくは、高荘な建物に住む者と、粗末な小舎に住む者という程度の相違をいうのであったらそれによって、人間の幸福と不幸福とは判別されるものでないといわれるでありましょ・・・ 小川未明 「文化線の低下」
出典:青空文庫