・・・ その思想と伎倆の最も円熟した時、後代に捧ぐべき代表的傑作として、ハムレットを捕えたシェクスピアは、人の心の裏表を見知る詩人としての資格を立派に成就した人である。一三 ハムレットには理智を通じて二つの道に対する迷いが現わ・・・ 有島武郎 「二つの道」
・・・ 隔の襖は裏表、両方の肩で圧されて、すらすらと三寸ばかり、暗き柳と、曇れる花、淋しく顔を見合せた、トタンに跫音、続いて跫音、夫人は衝と退いて小さな咳。 さそくに後を犇と閉め、立花は掌に据えて、瞳を寄せると、軽く捻った懐紙、二隅へはた・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・切り抜きをなくしたので、どんな事を書いたか覚えていないが、しかし相撲四十八手の裏表が力学の応用問題として解説の対象となりうることには違いはないので、その後にだれか相撲好きの物理学者が現われ、本格的な「相撲の力学」を研究し開展させて後世に対す・・・ 寺田寅彦 「相撲」
・・・ちょっとした山つづきの裏表では日照雨量従ってあらゆる気候要素にかなり著しい相違のあるということはだれも知るとおりである。その影響の最も目に見えるのはそうした地域の植物景観の相違である。たとえば信州へんでもある東西に走る渓流の南岸の斜面には北・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・私は時と場合とに応じてこの札の裏表を使い分ける事を教えられた。 見ているうちに私はこの雑多な品物のほとんど大部分が皆貰いものや借り物である事に気が付いた。自分の手で作るか、自分の労力の正当な報酬として得たもののあまりに少ないのに驚いた。・・・ 寺田寅彦 「厄年と etc.」
・・・兎に角僕等二三人の客の見る所、お民は相応に世間の裏表も、男の気心もわかっていて、何事にも気のつく利口な女であった。酒は好きで、酔うと客の前でもタンカを切る様子はまるで芸者のようで。一度男にだまされて、それ以来自棄半分になっているのではないか・・・ 永井荷風 「申訳」
・・・その本は大分丹念に使用したものと見えて裏表とも表紙が千切れていた。それを借りたときにも返した時にも、先生は哲学の方の素養もあるのかと考えて、小供心に羨ましかった。 あるときどんな英語の本を読んだら宜かろうという余の問に応じて、先生は早速・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・私は嬉しく、裏表をかえして見てから、封を切った。本当に、嬉しい手紙というものは、何ゆえ、ああも心を吸いよせ、永い道中で封筒の四隅が皺になり、けばだったのまでよいものだろう! 手紙は私の留守にフダーヤが伊豆に出かけたこと、あまり愉快でなか・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・まんなかに穴のあいてる十銭を、裏表かえして見て、首をあげ視線をあつめてる仲間を見わたし、一寸肩をすくめるような恰好をして次へわたす。クズニェツォーが、 ――わざわざもって来たんですか?ときいた。きのう、ここへ来た時やはり文化部で働い・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
・・・ 雪降りの日の様に見えるかぎりは真白で散り敷いた落葉の裏表からは絹針より細く鋭い霜の針がすき間もなく立って居る。その痛いように見える落葉をつまむと指のあたった処だけスーッととけて冷たくしみて行く。葉の面を被うて居る針は、見れば見るほど面・・・ 宮本百合子 「農村」
出典:青空文庫