・・・ 伊井公侯を補佐して革命的に日本の文明を改造しようとしたは当時の内閣の智嚢といわれた文相森有礼であった。森は早くから外国に留学した薩人で、長の青木周蔵と列んで渾身に外国文化の浸潤った明治の初期の大ハイカラであった。殊に森は留学時代に日本・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・私塾と云えばいずれ規模の大きいのは無いのですが、それらの塾は実に小規模のもので、学舎というよりむしろただの家といった方が適当な位のものでして、先生は一人、先生を輔佐して塾中の雑事を整理して諸種の便宜を生徒等に受けさせる塾監みたような世話焼が・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・ 与二は政元の下で先度の功に因りて大に威を振ったが、兄を討ったので世の用いも悪く、三好筑前守はまた六郎の補佐の臣として六郎の権威と利益とのためには与二の思うがままにもさせず振舞うので、与二は面白くなくなった。 そこで与二は竹田源七、・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・おそらく古代では国君ならびにその輔佐の任に当たる大官たちみずからこれらの科学的な事がらにも深い思慮を費やしたのではないかと想像される。 しかるに時代の進展とともに事情がよほど変わって来た。政治法律経済といったようなものがいつのまにか科学・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・しながら不幸にして皇后陛下は沼津に御出になり、物の役に立つべき面々は皆他界の人になって、廟堂にずらり頭を駢べている連中には唯一人の帝王の師たる者もなく、誰一人面を冒して進言する忠臣もなく、あたら君徳を輔佐して陛下を堯舜に致すべき千載一遇の大・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・ 二日の午前九時四十分 健康な産声を高々と、独りの姉を補佐すべく産れて来た児は、七日後に寿江子と名づけられた。 うす紅色の皮膚の上を、銀色の産毛がそよいで、クルクルと丸い眼、高い広い額等には、家中の者の希んで居る賢さが現われて居・・・ 宮本百合子 「暁光」
・・・女は家庭で良人の補佐ができればよいという明治時代の女子教育は進歩していないのだ。 資本主義の国として、しかもつよく封建性ののこっている日本文化は、支配者自身でさえ今では不便がるほど基礎的な男女教育にまで差別を設けている。女学校は綱領とし・・・ 宮本百合子 「プロレタリア婦人作家と文化活動の問題」
出典:青空文庫