・・・ 板よりも固い畳の上には所々に獣の皮が敷きつめられていて、障子に近い大きな白熊の毛皮の上の盛上るような座蒲団の上に、はったんの褞袍を着こんだ場主が、大火鉢に手をかざして安座をかいていた。仁右衛門の姿を見るとぎろっと睨みつけた眼をそのまま・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・と艫で爺さまがいわっしゃるとの、馬鹿いわっしゃい、ほんとうに寒気がするだッて、千太は天窓から褞袍被ってころげた達磨よ。 ホイ、ア、ホイ、と浪の中で、幽に呼ばる声がするだね。 どこからだか分ンねえ、近いようにも聞えれば、遠いようにも聞・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・「あんなものを巻着けておいた日にゃあ、骨まで冷抜いてしまうからよ、私が褞袍を枕許に置いてある、誰も居ねえから起きるならそこで引被けねえ。」 といったが克明な色面に顕れ、「おお、そして何よ、憂慮をさっしゃるな、どうもしねえ、何とも・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・その富貴長命という字が模様のように織りこまれた袋の中には、汚れた褞袍、シャツ、二三の文房具、数冊の本、サック、怖しげな薬、子供への土産の色鉛筆や菓子などというものがはいっていた。 さすがに永いヤケな生活の間にも、愛着の種となっていた彼の・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・そして私は褞袍をまとって硝子窓を閉しかかるのであった。 午後になると私は読書をすることにしていた。彼らはまたそこへやって来た。彼らは私の読んでいる本へ纒わりついて、私のはぐる頁のためにいつも身体を挾み込まれた。それほど彼らは逃げ足が遅い・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・がしかしそれも、脱ぎ棄てた宿屋の褞袍がいつしか自分自身の身体をそのなかに髣髴させて来る作用とわずかもちがったことはないではないか。あの無感覚な屋根瓦や窓硝子をこうしてじっと見ていると、俺はだんだん通行人のような心になって来る。あの無感覚な外・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 真蔵は銘仙の褞袍の上へ兵古帯を巻きつけたまま日射の可い自分の書斎に寝転んで新聞を読んでいたがお午時前になると退屈になり、書斎を出て縁辺をぶらぶら歩いていると「兄様」と障子越しにお清が声をかけた。「何です」「おホホホホ『何で・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・ 季節が秋に入っていたので、夜の散歩には、どうかするとセルに袷羽織を引っかけて出るほどで、道太はお客用の褞袍を借りて着たりしていたが、その日はやはり帷子でも汗をかくくらいであった。 その前々晩に、遠所にいるお芳から電話がかかってきて・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 真直な往来の両側には、意気な格子戸、板塀つづき、磨がらすの軒燈さてはまた霜よけした松の枝越し、二階の欄干に黄八丈に手拭地の浴衣をかさねた褞袍を干した家もある。行書で太く書いた「鳥」「蒲焼」なぞの行燈があちらこちらに見える。忽ち左右がぱ・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・ 桃龍が云いながら章子をつらまえ、着ている褞袍をむきかけた。「これ! 怪体なことせんとき」 章子はあわてて胸元を押えた。「ふあ! 様子してはる――」 大騒ぎで褞袍を脱がせ、それを自分が羽織ったなりで里栄は今まで着ていた長・・・ 宮本百合子 「高台寺」
出典:青空文庫