・・・屋敷の西側に一丈五六尺も廻るような椎の樹が四五本重なり合って立って居る。村一番の忌森で村じゅうから羨ましがられて居る。昔から何ほど暴風が吹いても、この椎森のために、僕の家ばかりは屋根を剥がれたことはただの一度もないとの話だ。家なども随分と古・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・そこは俗にいう瀬戸物町で、高麗橋通りに架った筋違橋のたもとから四ツ橋まで、西横堀川に添うた十五町ほどの間は、ほとんど軒並みに瀬戸物屋で、私の奉公した家は、平野町通りから二三軒南へはいった西側の、佃煮屋の隣りでした。 私は木綿の厚司に白い・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・ ころは春五月の末で、日は西に傾いて西側の家並みの影が東側の家の礎から二三尺も上に這い上っていた。それで尺八を吹く男の腰から上は鮮やかな夕陽に照されていたのである。 夕暮近いので、街はひとしおの雑踏を極め、鉄道馬車の往来、人車の東西・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・ そこで僕は武蔵野はまず雑司谷から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、君の一編に示された入間郡を包んで円く甲武線の立川駅に来る。この範囲の間に所沢、田無などいう駅がどんなに趣味が多いか……ことに・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・私たちの住む家は西側の塀を境に、ある邸つづきの抜け道に接していて、小高い石垣の上を通る人の足音や、いろいろな物売りの声がそこにも起こった。どこの石垣のすみで鳴くとも知れないような、ほそぼそとした地虫の声も耳にはいる。私は庭に向いた四畳半の縁・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・それと向い合った西側の壁には一坪ばかりの鏡がかけられていた。鏡は金粉を塗った額縁に収められているのである。北側の入口には赤と黒との縞のよごれたモスリンのカアテンがかけられ、そのうえの壁に、沼のほとりの草原に裸で寝ころんで大笑いをしている西洋・・・ 太宰治 「逆行」
・・・ 滝壺は三方が高い絶壁で、西側の一面だけが狭くひらいて、そこから谷川が岩を噛みつつ流れ出ていた。絶壁は滝のしぶきでいつも濡れていた。羊歯類は此の絶壁のあちこちにも生えていて、滝のとどろきにしじゅうぶるぶるとそよいでいるのであった。 ・・・ 太宰治 「魚服記」
・・・さらにまたこの海峡の西側に比べると東側の山脈の脊梁は明らかに百メートルほどを沈下し、その上に、南のほうに数百メートルもずれ動いたものである事がわかる。もっともこの断層の生成、これに伴なう沈下や滑動の起こった時代は、おそらく非常に古い地質時代・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・ やっぱり浅間が爆発したのだろうと思ってすぐにホテルの西側の屋上露台へ出て浅間のほうをながめたがあいにく山頂には密雲のヴェールがひっかかっていて何も見えない。しかし山頂から視角にしてほぼ十度ぐらいから以上の空はよく晴れていたから、今に噴・・・ 寺田寅彦 「小爆発二件」
一 蜂 私の宅の庭は、わりに背の高い四つ目垣で、東西の二つの部分に仕切られている。東側の方のは応接間と書斎とその上の二階の座敷に面している。反対の西側の方は子供部屋と自分の居間と隠居部屋とに三方を囲まれた・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
出典:青空文庫