・・・ それは西暦千八百六十五年の七月の十三日の午前五時半にツェルマットという処から出発して、名高いアルプスのマッターホルンを世界始まって以来最初に征服致しましょうと心ざし、その翌十四日の夜明前から骨を折って、そうして午後一時四十分に頂上・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・詳しく言えばその中にも南定と北定とあって、南定というのは宋が金に逐われて南渡してからのもので、勿論その前の北宋の時、美術天子の徽宗皇帝の政和宣和頃、即ち西暦千百十年頃から二十何年頃までの間に出来た北定の方が貴いのである。また、新定というもの・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・三十六歳のとき、本師キレイメンス十二世からヤアパンニアに伝道するよう言いつけられた。西暦一千七百年のことである。 シロオテは、まず日本の風俗と言葉とを勉強した。この勉強に三年かかったのである。ヒイタサントオルムという日本の風俗を記した小・・・ 太宰治 「地球図」
・・・きな文章家に仕上げる事が出来るのです、僕は、寺田まさ子さんの先生よりも或る点で進歩しているつもりです、それは徳育という点であります、あなたは、ルソオという人を知っていますか、ジャン・ジャック・ルソオ、西暦千六百、いや、西暦千七百、千九百、笑・・・ 太宰治 「千代女」
・・・ 土佐における大地変の最初の記録としては、西暦六八四年天武天皇の時代の地震で、土地五十万頃が陥落して海となったという記録があり、それからずっと後には慶長九年と宝永四年ならびに安政元年とこの三回の大地震が知られており、このうちで、後の二回・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
・・・これは焼失区域のだいたいの長さから言って今度の函館のそれの三倍以上であった。これは西暦一七七二年の出来事で今から百六十二年の昔の話である。当時江戸の消防機関は長い間の苦い経験で教育され訓練されてかなりに発達してはいたであろうが、ともかくも日・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
東トルキスタン東部の流砂の中に大きな湖水ロプ・ノールのあることは二千年昔のシナ人にはすでに知られていて、そのだいたいの形や位置を示す地図ができていたそうである。西暦一七三三年に二人のヨーロッパ人が独立に別々にその地方の地図・・・ 寺田寅彦 「ロプ・ノールその他」
西暦一千九百二年秋忘月忘日白旗を寝室の窓に翻えして下宿の婆さんに降を乞うや否や、婆さんは二十貫目の体躯を三階の天辺まで運び上げにかかる、運び上げるというべきを上げにかかると申すは手間のかかるを形容せんためなり、階段を上るこ・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・ 伝記を読んだ方々には御承知の通りに、マリヤは、ポーランドの首府ワルソーで中学校の物理の先生をする傍副視学官をつとめていたスクロドフスキーの四人娘の末っ子として生れました。西暦一八六七年十一月に生れたから、日本が明治元年を迎えた時です。・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人の命の焔」
・・・『くにのあゆみ』が日本の歴史学的な根拠もとぼしい皇紀をやめて、西暦に統一して書かれたことは、この将来の展望の上からも妥当である。〔一九四六年十月〕 宮本百合子 「『くにのあゆみ』について」
出典:青空文庫