・・・の翻訳文学が一方にあり、福沢諭吉の新興ブルジョアジーの啓蒙者としての活動が重大な指針となった時代が去った後は、徳川末期の戯作者の気風、現実に対する無批判な妥協的態度が、西欧の文学的潮流の移植の側らにあって、常に日本の近代性の中に含まれている・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・と社会との対立が問題となって西欧の「私小説の歩調に接近して来た」と見たのは小林秀雄氏である。氏はヨーロッパ文学において人文主義の時代から十九世紀の自然主義時代に至る自我の発展「社会化した私」と、自然主義が文芸思潮として移入した明治時代の日本・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・男女の相剋を自我の相剋として見る面で漱石の西欧的教養は大きい創造のモメントをなしているのであるが、漱石が我ともなく昔ながらの常識に妥協している面では、そのような男女の相剋をもたらす日本的現実の条件の追究をとりあげ得ないでいる。日本における夫・・・ 宮本百合子 「作家と教養の諸相」
・・・ 西欧の諸国では、彼らの文化が全体として市民社会の経験をもち、自身の発展の推移において、封建的文学とたたかい、それを克服してきている。文学の社会性についての理解は、前世紀においてその基本を文学認識の中に確立している。日本は、いく久しい封・・・ 宮本百合子 「作家の経験」
・・・アジアの文学は、パール・バックやエドガー・スノウやオーエン・ラティモアなどの優秀な西欧の人間性を通じて世界文学に座をつらねる段階をぬけて来ている。中国は中国の人々自身の物語をかたりはじめた。インドも、朝鮮も、インド・シナも。アジアは、現代史・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・日本の文化の歴史と、その中にある知識人というものの経歴は、西欧の伝統とはおのずから異った社会的特色をもって刻々現れるのであるが、当時これらの作品の作者たちは、そのような歴史の社会的な特質にまでつき入って時代の貴重な文学的主題を展開はさせ得な・・・ 宮本百合子 「昭和の十四年間」
・・・ 戦時下、西欧の多くの国々が文化の混乱と貧困とに陥った。けれども、それは日本におけるように文学精神そのものの喪失ではなかったと思う。更に心をうたれるのは、日本文学のこの惨憺たる事実が、文学者自身の問題として十分自覚さえもされていないよう・・・ 宮本百合子 「新日本文学の端緒」
・・・によって「ブルジョア自由主義もしくは個人主義文学の名によって蔑視され勝ちであった西欧文学についての再検討と、自国文学に対する価値的反省」であるとし、「フランスの行動的ヒュマニズムの変革運動は芸術にあっての自由と、その自由なる芸術的表現の主張・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
一 深大な犠牲をはらって西欧におけるファシズムを粉砕したソヴェト同盟では、平和が克復するとすぐ、物質と精神の全面に精力的な再建がはじまった模様である。たとえば、ドニェプルの大発電所は、第一次五ヵ年・・・ 宮本百合子 「政治と作家の現実」
歌舞伎芝居や日本音曲は、徳川時代に完成せられたものからほとんど一歩も出られない。もし現在の日本に劇や音楽の革新運動があるとすれば、それは西欧の伝統の輸入であって、在来の日本が生み出したものの革新ではない。それに比べると日本画には内から・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
出典:青空文庫