・・・ ユウゴオ 全フランスを蔽う一片のパン。しかもバタはどう考えても、余りたっぷりはついていない。 ドストエフスキイ ドストエフスキイの小説はあらゆる戯画に充ち満ちている。尤もその又戯画の大半は悪魔をも憂・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・その上隣の荒物屋との境にある、一抱あまりの葉柳が、窓も蔽うほど枝垂れていますから、瓦にさえ暗い影が落ちて、障子一重隔てた向うには、さもただならない秘密が潜んでいそうな、陰森としたけはいがあったと云います。 が、泰さんは一向無頓着に、その・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 菓子の色、紙の白きさえ、ソレかと見ゆるに、仰げば節穴かと思う明もなく、その上、座敷から、射し入るような、透間は些しもないのであるから、驚いて、ハタと夫人の賜物を落して、その手でじっと眼を蔽うた。 立花は目よりもまず気を判然と持とう・・・ 泉鏡花 「伊勢之巻」
・・・ その麓まで見通しの、小橋の彼方は、一面の蘆で、出揃って早や乱れかかった穂が、霧のように群立って、藁屋を包み森を蔽うて、何物にも目を遮らせず、山々の茅薄と一連に靡いて、風はないが、さやさやと何処かで秋の暮を囁き合う。 その蘆の根を、・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・ 怪しき臭気、得ならぬものを蔽うた、藁も蓆も、早や路傍に露骨ながら、そこには菫の濃いのが咲いて、淡いのが草まじりに、はらはらと数に乱れる。 馬の沓形の畠やや中窪なのが一面、青麦に菜を添え、紫雲英を畔に敷いている。……真向うは、この辺・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ と身を横に、蔽うた燈を離れたので、玉ぼやを透かした薄あかりに、くっきり描き出された、上り口の半身は、雲の絶間の青柳見るよう、髪も容もすっきりした中年増。 これはあるじの国許から、五ツになる男の児を伴うて、この度上京、しばらくここに・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・胸に覆うてある単物のある点がいくらか動いておって、それが呼吸のために動くように思われてならぬ。親戚の妻女が二つになる子どもをつれてきて、そこに寝せてあればその子の呼吸の音がどうかするとわが子のそれのように聞こえる。自分は、たえられなくなって・・・ 伊藤左千夫 「奈々子」
・・・その上ならず、馬の頭と髭髯面を被う堂々たるコロンブスの肖像とは、一見まるで比べ者にならんのである。かつ鉛筆の色はどんなに巧みに書いても到底チョークの色には及ばない。画題といい色彩といい、自分のは要するに少年が書いた画、志村のは本物である。技・・・ 国木田独歩 「画の悲み」
・・・彼は煙突の方に向いて両手で顔を蔽うて泣いた。 仕事が始る時、従兄がやって来て、「阿呆が、もっと気を付けい!」と云った。 併し、京一は、それを聞いていなかった。彼は、何故か自分一人が馬鹿にせられているようで淋しく悲しかった。・・・ 黒島伝治 「まかないの棒」
・・・この感じは四辺を一面に覆うている白い雪と同じように、果もなく単調な無事を表しているだけである。 しかしこの群の人々に、この岩畳な老人が目に留まらなかったのではない。今朝から気は付いている。みんなが早足に町の敷石を蹈み締め蹈み締めして歩い・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
出典:青空文庫