・・・ この頃浮浪人が出て毎晩集会所に集って焚火なぞをするから用心が悪い、と人々がいうので神社の世話役をしていた笠井は、おどかしつけるつもりで見廻りに来たのだった。彼れは固より樫の棒位の身じたくはしていたが、相手が「まだか」では口もきけないほ・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・「どいつも、こいつも弱みその露助みたいに呻きやがって!」見廻りに来た、恩給に精通している看護長が苦々しく笑った。「痛いくらいが何だい! 日本の男子じゃないか! 死んどる者じゃってあるんだぞ。」 右を見ると、よく酒保の酒をおごって呉れ・・・ 黒島伝治 「氷河」
誰よりも一番親孝行で、一番おとなしくて、何時でも学校のよく出来た健吉がこの世の中で一番恐ろしいことをやったという――だが、どうしても母親には納得がいかなかった。見廻りの途中、時々寄っては話し込んで行く赫ら顔の人の好い駐在所・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・ その翌日から、桜井先生は塾の方で自分の受持を済まして置いて、暇さえあればここへ見廻りに来た。崖下に浴場を経営しようとする人などが廻って来ないことはあっても、先生の姿を見ない日は稀だった。そして、そこに土管が伏せられるとか、ここに石垣の・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ 例のように、会社の見廻りに行く時が来た。大塚さんは根岸にある自宅から京橋の方へ出掛けて、しばらく会社で時を移した。用達することがあって、銀座の通へ出た頃は、実に体躯が暢々とした。腰の痛いことも忘れた。いかに自由で、いかに手足の言うこと・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・勝治は緊張して、そっと庭のほうから外へ出て家のぐるりを見廻り、「異状ないようです。」と小声で報告する。「そうか、ありがとう。もう僕も、今夜かぎりで君と逢えないかも知れませんが、けれども一身の危険よりも僕にはプロパガンダのほうが重大事です。逮・・・ 太宰治 「花火」
・・・月に一度ずつ、魔法使いの婆さんが見廻りに来ました。そうして食べ物や着物を置いて行きました。婆さんは、ラプンツェルを、やっぱり可愛くて、塔の中で飢え死させるのが、つらいのです。婆さんには魔法の翼があるので、自由に塔の頂上の部屋に出入りする事が・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ その見廻りは小林がいつでも引き受けていた。が、此場合では小林はその役目を果す事は出来なかった。 時間は、吹雪の夜そのもののように、冷酷に経った。余り帰りが遅くなるので、秋山の長屋でも、小林の長屋でも、チャンと一緒に食う筈になってい・・・ 葉山嘉樹 「坑夫の子」
・・・暫くの間、カーテンの隙間ばかりを気にして居た私は、じいっとして居るよりは、まだましだと家中のしまりを見廻り出した。 しっかりしまって居る戸まで、泥棒はきっと斯んな手付きでやるのだろうと思って、わざわざこじって見たり引っぱって見たりした。・・・ 宮本百合子 「盗難」
・・・ 工事が進むにつれ、原宿に住んでいる手塚が二日置きくらいに見廻りに来た。一緒に幸雄という息子も来るようになった。二十三四の母親似の若旦那であった。角帽をかぶっていた。「若旦那――大学ですか」「ああ」「本郷ですか」「う・・・ 宮本百合子 「牡丹」
出典:青空文庫