・・・が、見晴らしはどこへ行っても、大きな屋根の影絵があり、夕焼空に澄んだ梢があった。そのたび、遠い地平へ落ちてゆく太陽の隠された姿が切ない彼の心に写った。 日の光に満ちた空気は地上をわずかも距っていなかった。彼の満たされない願望は、ときに高・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 高い方の見晴らしへ出た。それからが傾斜である。自分は少し危いぞと思った。 傾斜についている路はもう一層軟かであった。しかし自分は引返そうとも、立留って考えようともしなかった。危ぶみながら下りてゆく。一と足下りかけた瞬間から、既に、・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・登りつむればここは高台の見晴らし広く大空澄み渡る日は遠方の山影鮮やかに、国境を限る山脈林の上を走りて見えつ隠れつす、冬の朝、霜寒きころ、銀の鎖の末は幽なる空に消えゆく雪の峰など、みな青年が心を夢心地に誘いかれが身うちの血わくが常なれど、今日・・・ 国木田独歩 「わかれ」
昭和十年八月四日の朝、信州軽井沢千が滝グリーンホテルの三階の食堂で朝食を食って、それからあの見晴らしのいい露台に出てゆっくり休息するつもりで煙草に点火したとたんに、なんだかけたたましい爆音が聞こえた。「ドカン、ドカドカ、ド・・・ 寺田寅彦 「小爆発二件」
・・・ たとえば、昔の人は、見晴らしのいい丘の頂に建てられた小屋の中に雑居して、四方の窓から自由に外をながめていた。今では広大な建築が、たくさんの床と壁とで蜂の巣のように仕切られ、人々はめいめいの室のただ一つの窓から地平線のわずかな一部を見張・・・ 寺田寅彦 「丸善と三越」
・・・大きな川に臨んだ見晴らしのいいきれいな部屋で、川向こうに見える山は郷里の記憶に親しいあの山である。だれとも知れず四五人の人々がそばにいておし黙っている。五分、三分、一分いよいよ時刻が迫ったのでずっと席を立ってその別室へはいった。その時までは・・・ 寺田寅彦 「LIBER STUDIORUM」
・・・ 鴎外が、そういう見晴らしに向って立っていた自分の二階を、観潮楼と名づけた由来も肯ける。没後、そちらの門から出入りする部分には誰かが住んで、肴町への通りにある裏門に表札がかけられていた。おとなしい門の上に古風な四角いランプ型の門燈が立て・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・ 太田道灌が、あっちからこっちへと武蔵野をみまわして、ここは都にするにいいところだと云った山が、道灌山だということだったが、わたしたちが行く道灌山で、見晴らしのきくのは田端側の崖上だけだった。その崖からは三河島一帯が低く遠くまで霞んで見・・・ 宮本百合子 「道灌山」
・・・ ○のいる家から町の駅までは僅か数丁の距離しかないので、丁度その扇形の見晴らしを通過する頃どの汽車もスピードをおとした。過ぎて行く貨車の一つ一つ、客車の窓の一つ一つが見える。どの時間に通る列車でも客車は一杯だが、不思議なことに、満員・・・ 宮本百合子 「無題(十二)」
出典:青空文庫