・・・横堀は蝨をわかせていそうだし、起せば家人が嫌がる前に横堀が恐縮するだろう。見栄坊の男だった。だからわざと起さず、紅茶を淹れ、今日搗いて来たばかしの正月の餅を、水屋から出して焜炉の上に乗せ乍ら、「どうしてた。大阪駅で寝ていたのか。浮浪者の・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 作家というものは、ずいぶん見栄坊であって、自分のひそかに苦心した作品など、苦心しなかったようにして誇示したいものだ。 私は、私の最初の短篇集『晩年』二百四十一頁を、たった三夜で書きあげた、といったら、諸兄は、どんな顔をするだろう。・・・ 太宰治 「創作余談」
・・・そのような醜い形をして、私が外出すればかならず影のごとくちゃんと私につき従い、少年少女までが、やあ、へんてこな犬じゃと指さして笑うこともあり、多少見栄坊の私は、いくらすまして歩いても、なんにもならなくなるのである。いっそ他人のふりをしようと・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・しかし、私はかなりの見栄坊であった。紋附を着た美しい芸者三人に取りまかれて、ばりばりと寒雀を骨ごと噛みくだいて見せる勇気は無かった。ああ、あの頭の中の味噌はどんなにかおいしいだろう。思えば、寒雀もずいぶんしばらく食べなかったな、と悶えても、・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・「そんなに見栄坊では、兵隊になれませんよ。」 僕たちは駅から出て上野公園に向った。「兵隊だって見栄坊さ。趣味のきわめて悪い見栄坊さ。」 帝国主義の侵略とか何とかいう理由からでなくとも、僕は本能的に、或いは肉体的に兵隊がきらい・・・ 太宰治 「未帰還の友に」
・・・何しろあいつの女房は見栄坊だったからね。そういわれると、何か納得されるものが聞く者の感情の中に用意されているようなのであるが、現代の心理学者は、虚栄心というものを抑々何と解釈するであろうか。 虚栄心は何故起るのだろう。栄華を求める心が取・・・ 宮本百合子 「暮の街」
・・・また見栄坊であって、何をしても他から非難されまいということが先に立つ。自分の独創を見せたがり、人まねと思われまいという用心にひきずられる。他をまねる場合でも、「人見せ善根」になってしまう。 こういう大将は、地下の分限者、町人などにうまく・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫