・・・日本人が書いたのでは、七十八日遊記、支那文明記、支那漫遊記、支那仏教遺物、支那風俗、支那人気質、燕山楚水、蘇浙小観、北清見聞録、長江十年、観光紀游、征塵録、満洲、巴蜀、湖南、漢口、支那風韻記、支那――編輯者 それをみんな読んだのですか?・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・「一体また二つの蜻蛉がなぜ変だろう。見聞が狭い、知らないんだよ。土地の人は――そういう私だって、近頃まで、つい気がつかずに居たんだがね。 手紙のついでで知っておいでだろうが、私の住んでいる処と、京橋の築地までは、そうだね、ここから、・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・公していたことがあるというし、また、調合の方は朝鮮の姉が肺をわずらって最寄りの医者に書いてもらっていた処方箋を、そっくりそのまま真似てつくったときくからは、一応うなずけもしたが、それにしてもそれだけの見聞でひとかどの薬剤師になりすまし、いき・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・しかし、いま私は「私の見聞した軍人援護朗話」という文章を求められて、この話を書き送ることにした。この十八歳の娘さんのいじらしいばかりに健気な気持については、註釈めいたものは要らぬだろう。ひとはしばらく眼をつぶって、この娘さんの可憐な顔を想像・・・ 織田作之助 「十八歳の花嫁」
・・・一同が茶の間に集まってがやがやと今日の見聞を今一度繰返して話合うのであった。お清は勿論、真蔵も引出されて相槌を打って聞かなければならない。礼ちゃんが新橋の勧工場で大きな人形を強請って困らしたの、電車の中に泥酔者が居て衆人を苦しめたの、真蔵に・・・ 国木田独歩 「竹の木戸」
・・・が何より禁物なので、東京にゆけば是非、江藤侯井下伯その他故郷の先輩の堂々たる有様を見聞せぬわけにはいかぬ、富岡先生に取ってはこれ則ち不平、頑固、偏屈の源因であるから、忽ち青筋を立てて了って、的にしていた貴所の挙動すらも疳癪の種となり、遂に自・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・我れ今見聞して受持するを得たり。願はくは如来の真実義を解かん。とあるのはこの心である。「あいがたき法」「あいがたき師」という敬虔の心をもっと現代の読書青年は持たねばならぬのである。 街頭狗肉を売るところの知的商人、いつわりの説教・・・ 倉田百三 「学生と読書」
・・・すべてが、彼の見聞によっている。この時代の独歩は、まだ「源をぢ」を書かないし、「武蔵野」を書かない時代の独歩だった。しかし、後年の自然主義作家としての飾気のない、ぶっきら棒な、それでいて熱情的な文章は、この通信に、既に特色を現わしている。彼・・・ 黒島伝治 「明治の戦争文学」
・・・この男の王仏元というのも、平常主人らの五分もすかさないところを見聞して知っているので、なかなか賢くなっている奴だった。で、仏元は廷珸のところへ往って、雲林を返して下さいというと、廷珸は承知して一幅を返した。一幅は何も彼も異ってはいなかった。・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・嚢中不足は同じ事なれど、仙台にはその人無くば已まむ在らば我が金を得べき理ある筋あり、かつはいささかにても見聞を広くし経験を得んには陸行にしくなし。ついに決断して青森行きの船出づるに投じ、突然此地を後になしぬ。別を訣げなば妨げ多からむを慮り、・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
出典:青空文庫