・・・て、晩方など、入り日の紅くさしこむ窓の下で、お姉さまがピアノをお弾きなさるとき、露子は、じっとそのそばにたたずんで、いちいち手の動くのから、日の光がピアノに当たって反射しているのから、なにからなにまで見落とすことがなく、また歌いなされる声や・・・ 小川未明 「赤い船」
・・・――私は、その人達が改札を出たり、入つたりする人達を見ている不思議にも深い色をもつた眼差しを決して見落すことは出来ない。 これはしかしこれだけではない。冬近くなつて、奥地から続々と「俊寛」が流れ込んでくると、「友喰い」が始まるのだ。小樽・・・ 小林多喜二 「北海道の「俊寛」」
・・・そうして主要な名所旧跡をうっかり見落とす気づかいもない。 しかしこれとちがったやり方もないではない。たとえば旅行がしたくなると同時に最初から賽をふって行く所をきめてしまう。あるいは偶然に読んだ詩編か小説かの中である感興に打たれたような場・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人足ののろい人がずっとあとからおくれて来てわけもなくそのだいじな宝物を拾って行く場合がある。・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
・・・そうでないと往々重要なものを見落す虞がある。近頃流行る高山旅行などではなおさらである。案内人なしにいい加減な道を歩いていると道に迷うてとんでもない災難に会わなければならない。 案内人として権威の価値は明らかであるが、同時に案内人の弊害も・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・有島武郎、芥川龍之介という二人の作家の死は、日本文学の成長を語るとき、見落すことの出来ない凄じい底潮の反映として考えられると思う。 それにひきつづく略十年間、一九三三年頃まで文学の主潮はプロレタリア文学にあり、日本の歴史のふくむ複雑な数・・・ 宮本百合子 「今日の文学と文学賞」
・・・はしかく密接なのであるが、従来のブルジョア文学に於ては漫然読者という表現の中に込めて考えられていた大衆というものの存在が、昨今作家にとって特別に見直され、しかもその見方に幾つかの異った傾向が見えるのは見落すべからざる点であると思う。林、小林・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・く読んで、自身の論文について多くのことを学んだと同時に、それらの反駁、批判それぞれが又そのものとして、われわれプロレタリア文学運動をレーニン的段階へと押しすすめて行こうと努力する者すべてにとって、種々見落すことのできぬ問題をもっていることを・・・ 宮本百合子 「前進のために」
・・・特に高崎郡領一揆と大久保利通にその例を見る維新の封建地主勢力の庇護のもとにあった志士団と革命的農民との敵対関係へ、われわれの注意を向けている点は見落すことのできないことである。 明治維新を「その被圧迫階級の立場から描くことこそマルクス・・・・ 宮本百合子 「文学に関する感想」
・・・ここにも見落すことの出来ない現実のひとこまがある。 日本の人民は、半封建的な当時の社会輿論のなかで、政府が宣伝する開戦理由をそのままのみこんでいたばかりだった。政府の大本営発表を信じたばかりだった。そして、政府が表明した勝利の終曲と、そ・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
出典:青空文庫