・・・木導の句悪句にはあらねどこの一句を第一とする芭蕉の見識はきわめて低くきわめて幼し。芭蕉の門弟は芭蕉よりも客観的の句を作る者多しといえども、皆客観を写すこと不完全なれば直ちにこれを画とせんにはなお足らざるものあり。 蕪村の句の絵画的なるも・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・例ば書方を学ぶにしても同じ先生の弟子は十人が十人全く同じような字を書いて居るが、だんだん年をとって経験を積み一個の見識が出来るに従って自ら各の持前の特色が現われて来て、ようように字風が違って来ると同じ事に俳句でも或点まで一致した後は他人の真・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・だけれども、所によっては憲法がかわろうが民法がかわろうが、男は男だという「見識」を強くもっていて、やはり命令者としての感情を捨てきらない若い男子たちもある。中には折角組合が自分たち働く者の全体としての条件の一つとしてかちとった婦人の生理休暇・・・ 宮本百合子 「明日をつくる力」
・・・子供が将来、独立人としての見識をもち、同時に、美しい寛大さと、威厳を失うことのない譲歩とを学ぶ、みなもとです。 日本が民主の国にならなければならない、その大切な毎日の発展は、こういう母たちの心がけのうちに、かもされてゆくのだと思います。・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・と云う優しい憂鬱、同時に、美しい見識を以て、白鳥のように、生活していらっしゃりたく、又被居るのではないのでしょうか。私は極々人間的なのです、総ての見方が。それ故、自分並全人類の持つ痴愚や不完全さが、随分のところまで認容します。真個に大切な光・・・ 宮本百合子 「大橋房子様へ」
・・・追って家督相続をさせた後に、恐多いが皇室の藩屏になって、身分相応な働きをして行くのに、基礎になる見識があってくれれば好い。その為めに普通教育より一段上の教育を受けさせて置こうとした。だから本人の気の向く学科を、勝手に選んでさせて置いて好いと・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・手紙を持って来たのは、名は知らぬが、見識った顔の小使で、二十になるかならぬの若者である。 受け取った封書を持って、行燈の前にすわった三右衛門は、先ず燈心の花を落して掻き立てた。そして懐から鼻紙袋を出して、その中の眼鏡を取って懸けた。さて・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・「してみますと、ご新造さまの方が先生の学問以上のご見識でござりますな」「なぜ」「でもあれほどの美人でおいでになって、先生の夫人におなりなされたところを見ますと」 仲平は覚えず失笑した。そして孫右衛門の無遠慮なような世辞を面白・・・ 森鴎外 「安井夫人」
・・・ 家康が儒教によって文教政策を立てようとしたことには、一つの見識が認められるでもあろう。しかしヨーロッパでシェークスピアやベーコンがその「近代的」な仕事を仕上げているちょうどその時期に、わざわざシナの古代の理想へ帰って行くという試みは、・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・この地をえらんだ弘法大師の見識にもつくづく敬服するような気持ちになった。 それは外郭に連なる山々によって平野から切り離された、急峻な山の斜面である。幾世紀を経て来たかわからない老樹たちは、金剛不壊という言葉に似つかわしいほどなどつしりと・・・ 和辻哲郎 「樹の根」
出典:青空文庫