・・・ 私は折りおりその人影を見返りました。そのうちに私はだんだん奇異の念を起こしてゆきました。というのは、その人影――K君――は私と三四十歩も距っていたでしょうか、海を見るというのでもなく、全く私に背を向けて、砂浜を前に進んだり、後に退いた・・・ 梶井基次郎 「Kの昇天」
・・・相手は、何かというけげんの間抜けづらにて、ちらと老生を見返り、ふんと笑って屋台の外に出るその背後に浴びせ更にまた一声、老婆待て! と呼ばわり、老生も続いて屋台の外に躍り出申候。屋台の外は、落花紛々。老生の初陣を慶祝するが如き風情に有之候。老・・・ 太宰治 「花吹雪」
・・・と、お梅は戻ッて上草履を持ッて、見返りもせぬ平田を追ッかけて行く。「兄さん」と、吉里は背後から西宮の肩を抱いて、「兄さんは来て下さるでしょうね。きッとですよ、きッとですよ」 西宮は肩へ掛けられた吉里の手をしかと握ッたが、妙に胸が迫ッ・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・ 私は見返りながら魂の住家に□(どる。 宮本百合子 「小鳥の如き我は」
・・・ 千世子は京子を見返りながら笑った。「貴方にさわると思ってですよ。 京子は不平らしく云いながらも一緒に笑った。「でもねお陰でもうすっかりいい様になったんです。 頭もそう気になるほどでもなくってねえ。 ・・・ 宮本百合子 「千世子(三)」
・・・賠償物資、見返り物資の輸出入を司り、国内生産の要を握るこの役所に、頭として据えられたのは三井である。三井は、日本の再編成された全企業を統率しようとしている。この事実は日本の政府が、一貫して財閥の走狗であり、財閥の利益を擁護することによって自・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・爺いの背中で、上野の焼けるのを見返り見返りして、田圃道を逃げたのだ。秩父在では己達を歓迎したものだ。己の事を江戸の坊様と云っていた。」「なんでも江戸の坊様に御馳走をしなくちゃあならないというので、蕎麦に鳩を入れて食わしてくれたっけ。鴨南・・・ 森鴎外 「里芋の芽と不動の目」
・・・大夫が邸の三の木戸、二の木戸、一の木戸を一しょに出て、二人は霜を履んで、見返りがちに左右へ別れた。 厨子王が登る山は由良が嶽の裾で、石浦からは少し南へ行って登るのである。柴を苅る所は、麓から遠くはない。ところどころ紫色の岩の露われている・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫