・・・しかし我々は犬の言葉を聞きわけることが出来ませんから、闇の中を見通すことだの、かすかな匂を嗅「どこの犬とはどうしたのです? わたしですよ! 白ですよ!」 けれどもお嬢さんは不相変気味悪そうに白を眺めています。「お隣の黒の兄弟かし・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・こんな眼が現実の底の底まで見透す眼であろうと、私は思った。作家の眼を感じたのだ。 ちょっと受ける感じは、野放図で、ぐうたらみたいだが、繊細な神経が隅々まで行きわたっている。からだで掴んでしまった現実を素早く計算する神経の細かさ――それが・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・それは夢を見る人の眼であって、冷たい打算的なアカデミックな眼でない、普通の視覚の奥に隠れたあるものを見透す詩人創造者の眼である。眼の中には異様な光がある。どうしても自分の心の内部に生活している人の眼である。」「彼が壇上に立つと聴衆はもう・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・紛糾した可能性の岐路に立ったときに、取るべき道を誤らないためには前途を見透す内察と直観の力を持たなければならない。すなわちこの意味ではたしかに科学者は「あたま」がよくなくてはならないのである。 しかしまた、普通にいわゆる常識的にわかりき・・・ 寺田寅彦 「科学者とあたま」
・・・物干台から家の中に這入るべき窓の障子が開いている折には、自分は自由に二階の座敷では人が何をしているかを見透す。女が肩肌抜ぎで化粧をしている様やら、狭い勝手口の溝板の上で行水を使っているさままでを、すっかり見下してしまう事がある。尤も日本の女・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・玉蜀黍の茎は倒れて見通す稲田の眺望は軟かに黄ばんで来た。いつの日にか、わたくしは再び妙林寺の松山に鳶の鳴声をきき得るのであろう。今ごろ備中総社の町の人たちは裏山の茸狩に、秋晴の日の短きを歎いているにちがいない。三門の町を流れる溝川の水も物洗・・・ 永井荷風 「草紅葉」
・・・けれども患者が縁端へ出て互を見透す不都合を避けるため、わざと二部屋毎に開き戸を設けて御互の関とした。それは板の上へ細い桟を十文字に渡した洒落たもので、小使が毎朝拭掃除をするときには、下から鍵を持って来て、一々この戸を開けて行くのが例になって・・・ 夏目漱石 「変な音」
・・・植込まれた楓が、さびてこそおれ、その細そりした九州の楓だから座敷に坐って、蟹が這い出した飛石、苔むした根がたからずっと数多の幹々を見透す感じ、若葉のかげに一種独特な明快さに充ちている。茶室などのことを私は何も知らないが東京や京都で茶室ごのみ・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・ この前の手紙で申し上たような有様、更に現実はあれより複雑故、一番広い視野で先を見通すものが、こういう中では疲れ、そしてあるところでそのものとしての限度を見出し、それ以上の力こぶは入れても事情は改善されぬと見きわめないと徒らな精力を消耗・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫