・・・しかし両人は気が張って親しみ難かった叮寧さが、嫁の本当の心から出ているものとは受け取れなかった。「おばあさんに着物を買ってあげなくゃ。」「着物なんかいらないだろう。」「だってあの縞柄じゃ……」 園子は、ばあさんの着物のことを・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・何か言いたいような風であったが、談話の緒を得ないというのらしい、ただ温和な親しみ寄りたいというが如き微笑を幽に湛えて予と相見た。と同時に予は少年の竿先に魚の来ったのを認めた。 ソレ、お前の竿に何か来たよ。 警告すると、少年は慌てて向・・・ 幸田露伴 「蘆声」
・・・そう言えば、長く都会に住んで見るほどのもので、町中に来る夏の親しみを覚えないものはなかろうが、夏はわたしも好きで、種々な景物や情趣がわたしの心を楽しませる上に、暑くても何でも一年のうちで一番よく働ける書入れ時のように思い、これまで殆んど避暑・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・四人の兄妹の中での長男として、自分はいちばん長く父のそばにいて見たから、それだけ親しみを感ずる心も深いとしたところがあり、それからまた、父の勧農によって自分もその気になり、今では鍬を手にして田園の自然を楽しむ身であるが、四年の月日もむなしく・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・けれども、スバーは、牛共に対するほどの親しみは持っていませんでした。彼等の方では同じようになついていましたが。小猫などは、折さえあると夜昼かまわずスバーの膝にとび上り心持よさそうに丸まって、彼女が柔かい指で背中や頸を撫で撫で寝かしつけて呉れ・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・けれども、私は、いつの日か、一丈ほどの山椒魚を、わがものにしたい、そうして日夕相親しみ、古代の雰囲気にじかに触れてみたい、深山幽谷のいぶきにしびれるくらい接してみたい、頃日、水族館にて二尺くらいの山椒魚を見て、それから思うところあってあれこ・・・ 太宰治 「黄村先生言行録」
・・・はじめて落ちつき、祖父と一緒に暮すようになってからも、なんだか他人のような気がして、きたならしく、それに祖父の言葉には、とても強い東北訛が在りましたので何をおっしゃっているのか、よくわからず、いよいよ親しみが減殺されてしまうのでした。私が祖・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
祖母は文化十二年生まれで明治二十二年自分が十二歳の歳末に病没した。この祖母の「思い出の画像」の数々のうちで、いちばん自分に親しみとなつかしみを感じさせるのは、昔のわが家のすすけた茶の間で、糸車を回している袖なし羽織を着た老・・・ 寺田寅彦 「糸車」
・・・していると、自然にのどかなあくびを催して来る、すると今までなんとなしにしゃちこばってぎこちないものに見えた全世界が急になごやかに快いものに感ぜられて来て、眼前を歩いている見知らぬ青年男女にもなんとない親しみを感じるようになるのがわれながら不・・・ 寺田寅彦 「映画と生理」
・・・その気質にはかなり意地の強いところもあるらしく見えたが、それも相互にまだ深い親しみのない私に対する一種の見えと羞恥とから来ているものらしく思われた。彼は眉目形の美しい男だという評判を、私は東京で時々耳にしていた。雪江は深い愛着を彼にもってい・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
出典:青空文庫