・・・模造日本橋は跡方もなくなって両側の土堤も半ば崩れたのを子供等が駆け上り駆け下りて遊んでいる。観覧車も今は闃として鉄骨のペンキも剥げて赤あかさびが吹き、土台のたたきは破れこぼちてコンクリートの砂利が喰み出している。殺風景と云うよりはただ何とな・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・いよいよ招待日が来るとY博士の家族と同格になって観覧に出かける。これが近年の年中行事の一つになっていた。 ところが今年は病気をして外出が出来なくなった。二科会や院展も噂を聞くばかりで満足しなければならなかった。帝展の開会が間近くなっても・・・ 寺田寅彦 「帝展を見ざるの記」
・・・ 展覧会、講演会、演芸、その他の観覧物も新聞広告で予告を受けて都合のいいものかもしれない。しかしこれらの大多数は十日ぐらい前からプログラムの作れぬものでもなし、またそうでなくても適当な掲示やビラによって有効に知らせる事ができる。一般の人・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・言問団子の主人は明治十一年の夏七月より秋八月の末まで、都鳥の形をなした数多の燈籠を夜々河に流して都人の観覧に供した。成島柳北は三たびこの夜の光景を記述して『朝野新聞』に掲げた。大沼枕山が長命寺の門外に墨水観花の碑を建てたのも思うにまたこの時・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・ただカーライルの旧廬のみは六ペンスを払えば何人でもまた何時でも随意に観覧が出来る。 チェイン・ローは河岸端の往来を南に折れる小路でカーライルの家はその右側の中頃に在る。番地は二十四番地だ。 毎日のように川を隔てて霧の中にチェルシーを・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・併し、全体として、見物は、その大がかりな規模にふさわしい深い感銘を、観覧後まで心に与えられたであろうか。 自分としてはかなり物足りなかった。勿論、退屈な時、手当り次第に雑誌でも繙くように其場かぎりな、相手にも自分にも責任をもたない気分で・・・ 宮本百合子 「印象」
出典:青空文庫