・・・吾妻橋、厩橋、両国橋の間、香油のような青い水が、大きな橋台の花崗石とれんがとをひたしてゆくうれしさは言うまでもない。岸に近く、船宿の白い行灯をうつし、銀の葉うらを翻す柳をうつし、また水門にせかれては三味線の音のぬるむ昼すぎを、紅芙蓉の花にな・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・その結果は言うまでもない。もし又、そうしなければ所謂「新らしい詩」「新らしい文学」は生れぬものとすれば、そういう詩、そういう文学は、我々――少くとも私のように、健康と長寿とを欲し、自己及自己の生活を出来るだけ改善しようとしている者に取っては・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・ 丸太棒を抜いて取り、引きそばめて、石段を睨上げたのは言うまでもない。「コワイ」 と、虫の声で、青蚯蚓のような舌をぺろりと出した。怪しい小男は、段を昇切った古杉の幹から、青い嘴ばかりを出して、麓を瞰下しながら、あけびを裂いたよう・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・……座敷へ持出さないことは言うまでもない。 色気の有無が不可解である。ある種のうつくしいものは、神が惜んで人に与えない説がある。なるほどそういえば、一方円満柔和な婦人に、菩薩相というのがある。続いて尼僧顔がないでもあるまい。それに対して・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・世に美しい女の状に、一つはうかうか誘われて、気の発奮んだ事は言うまでもない。 さて幾度か、茶をかえた。「これを御縁に。」「勿論かさねまして、頃日に。――では、失礼。」「ああ、しばらく。……これは、貴方、おめしものが。」 ・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
・・・ちょうど渇いてもいたし、水の潔い事を見たのは言うまでもない。「ねえ、お前。」 稚児が仰いで、熟と紫玉を視て、「手を浄める水だもの。」 直接に吻を接るのは不作法だ、と咎めたように聞えたのである。 劇壇の女王は、気色した。・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・しかし、婦ばかりの心だしなみで、いずれも伏せてある事は言うまでもない。 この写真が、いま言った百人一首の歌留多のように見えるまで、御堂は、金碧蒼然としつつ、漆と朱の光を沈めて、月影に青い錦を見るばかり、厳に端しく、清らかである。 御・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・が、いずれも葉を振るって、素裸の山神のごとき装いだったことは言うまでもない。 午後三時ごろであったろう。枝に梢に、雪の咲くのを、炬燵で斜違いに、くの字になって――いい婦だとお目に掛けたい。 肱掛窓を覗くと、池の向うの椿の下に料理番が・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・ 何を笑う、教授はまた……これはこの陽気に外套を着たのが可笑いのであろうと思った……言うまでもない。――途中でな、誰を見ても、若いものにも、老人にも、外套を着たものは一人もなかった。湯の廓は皆柳の中を広袖で出歩行く。勢なのは浴衣一枚、裸・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・芸術の使命が、宗教や、教育と、相俟ってこゝに目的を有するのは言うまでもないことです。 一人の心から、他の心へ、一人の良心から、他の良心へと波動を打って、民衆の中にはいって行くものが、真の芸術です。そこに、精神の自由の下に、人格の改善が行・・・ 小川未明 「作家としての問題」
出典:青空文庫