・・・ 病者は自ら胸を抱きて、眼を瞑ること良久しかりし、一際声の嗄びつつ、「こう謂えばな、親を蹴殺した罪人でも、一応は言訳をすることが出来るものをと、お前は無念に思うであろうが、法廷で論ずる罪は、囚徒が責任を負ってるのだ。 今お前が言・・・ 泉鏡花 「化銀杏」
・・・女にうまれた一生の思出に、空耳でも、僻耳でも、奥さん、と言われたさに、いい気になって返事をして、確に罰が当ったんです……ですが、この円髷は言訳をするんじゃありませんけれど、そんな気なのではありません。一生涯他へはお嫁入りをしない覚悟、私は尼・・・ 泉鏡花 「錦染滝白糸」
・・・岡村は言い分けのように独で物を云いつつ、洋燈を床側に置いて、細君にやらせたらと思う様な事までやる。隣の間から箒を持出しばさばさと座敷の真中だけを掃いて座蒲団を出してくれた。そうして其のまま去って終った。 予は新潟からここへくる二日前に、・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・宿帳には下手糞な字で共産党員と書き、昨日出獄したばかりだからとわざと服装の言訳して、ベラベラとマルキシズムを喋ったが、十年入獄の苦労話の方はなお実感が籠り、父親は十年に感激して泣いて文子の婿にした。 所が、男は一年たたぬうちに再び投獄さ・・・ 織田作之助 「実感」
・・・それを自分の肚への言訳にして、お通夜も早々に切り上げた。夜更けの街を歩いて病院へ帰る途々、それでもさすがに泣きに泣けた。病室へはいるなり柳吉は怖い目で「どこイ行って来たんや」蝶子はたった一言、「死んだ」そして二人とも黙り込んで、しばらくは睨・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・ 心の弱い者が悪事を働いた時の常として、何かの言訳を自分が作らねば承知の出来ないが如く、自分は右の遺失た人の住所姓名が解るや直ぐと見事な言訳を自分で作って、そして殆ど一道の光明を得たかのように喜こんだ。 一先拝借! 一先拝借して自分・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・そこへお初が飛んで来て、いろいろ言い訳をしたが、何も知らない兄さんは訳の分からないという顔付きで、しきりに袖子を責めた。「頭が痛いぐらいで学校を休むなんて、そんな奴があるかい。弱虫め。」「まあ、そんなひどいことを言って、」とお初は兄・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
・・・という日本の無名の貧しい作家の、頗る我儘な言い訳に拠って、いまは、ゆるしていただきます。冗談にもせよ、人の作品を踏台にして、そうして何やら作者の人柄に傷つけるようなスキャンダルまで捏造した罪は、決して軽くはありません。けれども、相手が、一八・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・島中を歩き廻って宿へ帰ったら番頭がやって来て何か事々しく言訳をする。よく聞いてみると、当時高名であった強盗犯人山辺音槌とかいう男が江の島へ来ているという情報があったので警官がやって来て宿泊人を一々見て歩き留守中の客の荷物を調べたりしたという・・・ 寺田寅彦 「海水浴」
・・・こういうものを書く場合に何かひと言ぐらい言い訳のようなことをかく人も多いようである。考え方によればそれも必要かもしれない。しかし、いかなる個人でもその身辺にはいやでも時代の背景が控えている。それで一個人の身辺瑣事の記録には筆者の意識いかんに・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
出典:青空文庫