・・・僕は食事をすませた後、薄暗い船室の電灯の下に僕の滞在費を計算し出した。僕の目の前には扇が一本、二尺に足りない机の外へ桃色の流蘇を垂らしていた。この扇は僕のここへ来る前に誰かの置き忘れて行ったものだった。僕は鉛筆を動かしながら、時々又譚の顔を・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・監督に対してあらゆる質問を発しながら、帳簿の不備を詰って、自分で紙を取りあげて計算しなおしたりした。監督が算盤を取りあげて計算をしようと申し出ても、かまいつけずに自分で大きな数を幾度も計算しなおした。父の癖として、このように一心不乱になると・・・ 有島武郎 「親子」
・・・ ある日じいさんが、途中で財布を取り出して金を計算しているのを見た。乞食の子は、さっそくそばへきて、地面に落ちている小石を拾って、「おじいさん、銀貨が一つ落ちていた。」といって、手をさしだすと、じいさんはあわてて、金を取り返そうとし・・・ 小川未明 「つばめと乞食の子」
・・・からだで掴んでしまった現実を素早く計算する神経の細かさ――それが眼にあらわれていると思った。 その部屋には、はじめは武田さんと私の二人切りだったが、暫くすると雑誌や新聞の記者がぞくぞくと詰めかけて来て、八畳の部屋が坐る場所もないくらいに・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・見料一人三十銭、三人分で……と細かく計算するのも浅ましいが、合計九十銭の現金では大晦日は越せない、と思えば、何が降ってもそこを動かない覚悟だった。家には一銭の現金もない筈だ。いろんな払いも滞っている。だから、珈琲どころではないのだ。おまけに・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・ と嘆息させたのであるが、その時は幸いに無事だったが、月から計算してみて、七月中旬亡父の三周忌に帰郷した、その前後であるらしい。その前月おせいは一度鎌倉へつれ帰されたのだが、すぐまた逃げだしてき、その解決方に自分から鎌倉に出向いて行ったとこ・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・むろん食うに食われない理屈はない、家賃、米代以下お新の学校費まで計算して、なるほど二十五円で間に合わそうと思えば間に合うのである。 それで石井翁の主張は、間に合いさえすれば、それでやってゆく。いまさらわしが隠居仕事で候のと言って、腰弁当・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・私でさえも、時には人から先生と呼ばれる事がありますけれど、少しもこだわらず、無邪気に先生と呼ばれた時には、素直に微笑して、はい、と返事も出来ますが、向うの人が、ほんのちょっとでも計算して、意志を用いて、先生と呼びかけた場合には、すぐに感じて・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ 私の祖母が死んだのは、こうして様様に指折りかぞえながら計算してみると、私の生後八カ月目のころのことである。このときの思い出だけは、霞が三角形の裂け目を作って、そこから白昼の透明な空がだいじな肌を覗かせているようにそんな案配には・・・ 太宰治 「玩具」
・・・他人の月給をそねみ、生活を批評し、自分の不平、例えば出張旅費の計算で陰で悪口の云い合い、出張成金めとか、奥さんがかおを歪めて、何々さんは出張ばかりで、――うちなんか三日の出張で三十円ためてかえりましたよ。すると一方の奥さんは、うちは出張して・・・ 太宰治 「虚構の春」
出典:青空文庫