・・・「何かの本で、君のことを批評した言葉のなかに、傲慢の芸術云々という個所があった。評者は君の芸術が、それを失くした時、一層面白い云々、と述べていた。ぼくは、この意見に反対だ。ぼくには、太宰治が泣き虫に見えてならぬ。ぼくが太宰治を愛する所以・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ 元来、作者と評者と読者の関係は、例えば正三角形の各頂点の位置にあるものだと思われるが、(△の如き位置に、各々外を向いて坐っていたのでは話にもならないが、各々内側に向い合って腰を掛け、作者は語り、読者は聞き、評者は、或いは作者の話に相槌・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・内幕の域を脱し得ていないこと、従って、当時のレイノーにその社会的な矛盾紛糾を解く方策が見出せなかった瞬間にはモーロアも一箇の派手な話の運搬人としての存在でしかあり得なかったのだという真相が十分それらの評者に把握されていないことが語られている・・・ 宮本百合子 「今日の作家と読者」
・・・ そして、評者たちの言葉が一致したことは、本当に新しいという作品のないこと。何もこの人が小説を書かなくてはならないと思えないような人たちが今日はどっさり小説を書いていること。そういう作者たちが、必しもこけ嚇しやはったりを試みないのでもな・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・雲中語の評者たちから、散々ひやかされて居るが、同じ明治三十年に新小説に発表した「平八郎」の評 文学生。 市之進がお国の自殺を見たときの詞は、実に修辞の妙を極めて居るから、少し抜いて同好の士に示してやりたい。曰く「旦、御新造、やれまツ、自・・・ 宮本百合子 「無題(六)」
・・・ある評者がその夫人の文章を女でなくては書けないひどい文章であるというのをきいた。 私たち女は女でなくては書けないような非常識な文章があり得るということについてまじめに自省しなければなるまいと思う。台所のことは男に分らないといったのは昔の・・・ 宮本百合子 「私の感想」
・・・時として感覚派の多くの作品は古き頭脳の評者から「拵えもの」なる貶称を冠せられる。が、「拵えもの」は何故に「拵えもの」とならなければならないか。それは一つの強き主観の所有者が古き審美と習性とを蹂躪し、より端的に世界観念へ飛躍せんとした現象の結・・・ 横光利一 「新感覚論」
出典:青空文庫