・・・歌という詩形を持ってるということは、我々日本人の少ししか持たない幸福のうちの一つだよ。おれはいのちを愛するから歌を作る。おれ自身が何よりも可愛いから歌を作る。しかしその歌も滅亡する。理窟からでなく内部から滅亡する。しかしそれはまだまだ早く滅・・・ 石川啄木 「一利己主義者と友人との対話」
・・・その時、ちょうど夫婦喧嘩をして妻に敗けた夫が、理由もなく子供を叱ったり虐めたりするような一種の快感を、私は勝手気儘に短歌という一つの詩形を虐使することに発見した。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~ やがて、一年間の苦しい努力・・・ 石川啄木 「弓町より」
・・・ しかし、この要素は最も純粋な音楽的の要素であってこれを研究するには勢い広く音楽やまたあらゆる詩形全体にわたって考える事が必要になる。これはなかなか容易な仕事ではない。 次に重要な要素は何と云っても母音の排列である。勿論子音の排列分・・・ 寺田寅彦 「歌の口調」
・・・とは形式ばかりでなく内容的にも大分ちがった別物とは思いますが、こういう新しい詩形に固有な新しい詩の世界を創造して行くのは面白いことだろうと思われます。それにはもう少し誰にも分かりやすい言葉で誰の頭にもぴんと響くようなものを捕えて来るのが捷径・・・ 寺田寅彦 「御返事(石原純君へ)」
・・・同様に例えば日本の短歌の詩形が日本で始めて発生したものと速断するのも所由のないことであろうと思う。 五七五七七という音数律そのままのものは勿論現在では日本特有のものであろうが、この詩形の遠い先祖となるべきものが必ず何処かにあったであろう・・・ 寺田寅彦 「短歌の詩形」
・・・少なくも晩年の作品の中に現われている色々のものの胚子がこの短い詩形の中に多分に含まれている事だけは確実である。 俳句とは如何なるものかという問に対して先生の云った言葉のうちに、俳句はレトリックのエッセンスであるという意味の事を云われた事・・・ 寺田寅彦 「夏目先生の俳句と漢詩」
・・・この二つの短詩形の中に盛られたものは、多くの場合において、日本の自然と日本人との包含によって生じた全機的有機体日本が最も雄弁にそれ自身を物語る声のレコードとして見ることのできるものである。これらの詩の中に現われた自然は科学者の取り扱うような・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ なんだか夢のような話であるが、しかし百年たたないうちにそんな新詩形が東洋の日本で生まれ出て、それが西洋へ輸入され、高慢な西洋人がびっくりしてそうして争ってまねをはじめるということにならないとも限らない。 九 短・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
古い昔から日本民族に固有な、五と七との音数律による詩形の一系統がある。これが記紀の時代に現われて以来今日に至るまで短歌俳句はもちろん各種の歌謡民謡にまでも瀰漫している。この大きな体系の中に古今を通じて画然と一つの大きな線を・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・ 古い昔の短い詩形はかなり区々なものであったらしい、という事は古事記などを見ても想像される。それがだんだんに三十一文字の短歌形式に固定して来たのは、やはり一種の自然淘汰の結果であって、それが当時の環境に最もよく適応するものであったためで・・・ 寺田寅彦 「俳句の型式とその進化」
出典:青空文庫