・・・――話し手の若い人は見まわしたが、作者の住居にはあいにく八畳以上の座敷がない。「そうですね、三十畳、いやもっと五十畳、あるいはそれ以上かも知れなかったのです。」と言うのである。 半日隙とも言いたいほどの、旅の手軽さがこのくらいである処を・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 話し手の方の青年は馴染のウエイトレスをぶっきら棒な客から救ってやるというような表情で、彼女の方を振り返った。そしてすぐ、「いや、ところがね、僕が窓を見る趣味にはあまり人に言えない欲望があるんです。それはまあ一般に言えば人の秘密を盗・・・ 梶井基次郎 「ある崖上の感情」
・・・もっぱら談話をリードしているその中の一人が何か二言三言言ったと思うと他の二人が声をそろえて爆笑する、それに誘われて話し手自身も愉快そうに大きく笑っている。三四秒ぐらいの週期で三声ぐらい繰り返して笑うと黙ってしまう。また二言三言何か言ったと思・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・という発声を聞いただけで話し手の顔がありありと面前に出現するのは全く不思議である。 これと同じような聯想作用に関係しているためかと思われるのは、例えば落語とか浪花節とかを宅のラジオで聞くと、それがなんとなくはなはだ不自然な、あるまじきも・・・ 寺田寅彦 「ラジオ雑感」
・・・ 折から烈しき戸鈴の響がして何者か門口をあける。話し手ははたと話をやめる。残るはちょと居ずまいを直す。誰も這入って来た気色はない。「隣だ」と髯なしが云う。やがて渋蛇の目を開く音がして「また明晩」と若い女の声がする。「必ず」と答えたのは男・・・ 夏目漱石 「一夜」
・・・ 第一、今の今まで女王だとか、お前のおかげだとか、わいわい騒いでいた者達が、話せ話せと云って身の上話をさせながら、話し手が我と泣き倒れる程血の出るような事実を語っているのに、歎声一つ発しない冷淡さが事実あるだろうか。 自分達が云うだ・・・ 宮本百合子 「印象」
・・・ 赤い襟飾を結んだ年上のピオニェールが、椅子なしで、卓上へ肱をつき、日やけのした脚を蚊トンボみたいに曲げて熱心に一人一人の話し手の顔を見つめながら聞いてる。 今、詩が朗読されはじめた。「俺は、今日はじめてこの研究会へ出たんだが…・・・ 宮本百合子 「「鎌と鎚」工場の文学研究会」
・・・ そして、面白いお噺のこの上なく上手な話し手としての名誉と、矜恃とを失った彼女は、渾沌とした頭に、何かの不調和を漠然と感じる十二の子供として、夢と現実の複雑な錯綜のうちに遺されたのである。 一面紫色にかすみわたる黎明の薄光が、いつか・・・ 宮本百合子 「地は饒なり」
・・・輝くような話し手であった祖母に似てゴーリキイ自身なかなかたくみな話し手である。友達に放浪時代の見聞を話した。友達は感歎し、ぜひそれを書けとすすめた。そこで、ゴーリキイは書いた。頑丈な二十四歳のゴーリキイの胸に溢れるロマンチシズム、より高く、・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの人及び芸術」
・・・それは、学生委員会であろうが、昨夜のような集会であろうが自分が鼻をつっこめるだけの場所で、誰か一寸余分に拍手された話し手があると、きっと次の日は一日それにくっついて歩くのだ。 イワンは、下らないことを喋りゃしない。今もターニャにアメリカ・・・ 宮本百合子 「ワーニカとターニャ」
出典:青空文庫