・・・その最低線がどの程度まで歴史の客観的な前進に一致した認識と行動に向ってきているかということこそが、進歩のめやすです。だから、たとえば日本の婦人の社会的地位の進歩という場合、婦人代議士、特殊な芸術家、科学者などの業績をはかることばかりでは一面・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・一つは市立の女学校であり、この場合の性質は、学校の経営的な原因より、むしろはっきり、戦時的認識を若い娘心に銘させようとする意味に立っているのである。 どの新聞雑誌を見ても、銃後の婦人の力の実質が、この頃は生産拡充への直接間接の参加という・・・ 宮本百合子 「新しい婦人の職場と任務」
・・・しかしそれを敢てする事、その目に見えている物を手に取る事を、どうしても周囲の事情が許しそうにないと云う認識は、ベルリンでそろそろ故郷へ帰る支度に手を著け始めた頃から、段々に、或る液体の中に浮んだ一点の塵を中心にして、結晶が出来て、それが大き・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・Goeschen 版の認識論や民類学などである。なぜかと問うと、暇があったら読もうと思うのが楽しみだと、君は答える。ひどく知識欲の強い人である。 二三週間立ってから、或る日私はF君がどんな生活をしているかと思って、役所からの帰掛に立見を・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・人人の認識というものはただ見たことだけだ。雑念はすべて誤りという不可思議な中で、しきりに人は思わねばならぬ。思いを殺し、腰蓑の鋭さに水滴を弾いて、夢、まぼろしのごとく闇から来り、闇に没してゆく鵜飼の灯の燃え流れる瞬間の美しさ、儚なさの通過す・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・「もしも一個の人間が、現下に於て、最も深き認識に達すれば、コンミニストたらざるを得なくなる。」と。 しかしながら、文学に対して、最も深き認識に達したものは、コンミニストたらざるを得なくなるであろうか。 もしも、文学に対して、最も・・・ 横光利一 「新感覚派とコンミニズム文学」
・・・ある一つの有力な賓辞に対する狭小な認識はそれが批評となって現わされたとき、勿論芸術作品の成長範囲をも狭小ならしめることは、一例を取るまでもなく明かなことである。最近遽に勃興したかの感ある新感覚派なるものの感覚に関しても、時にはまた多くの場合・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・ しかしこの事実の認識はただ「愚痴」という形にのみ現わるべきものでないと思います。愚痴をこぼすのは相手から力と愛を求めることです。相手にそれだけ力と愛とが横溢していない時には、勢い愚痴は相手を弱め陰気にします。我々から愛を求めている者に・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・ショーペンハウエルの意志否定はかなり根元的の否定であるが、しかし彼の解脱――意志なき認識や涅槃などにおいては、なお真実に自己を活かすことが出来ると思う。 真実の自己は、意識的に分析する事の出来ないものである。それは様々な本能から成り立っ・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
・・・我々が自然を認識するのはこの両様の意味を含んでいる。すなわち外形はそれと全然似よりのない、性質の違ったものを我々に認識させるのである。三 ところでこの外形と全然異なった内部生命を認識することは、いかにして可能であるか。たとえ・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
出典:青空文庫