・・・が、それが時雨でも誘いそうに、薄暗い店の天井は、輪にかがって、棒にして、揃えて掛けた、車麩で一杯であった。「見事なものだ。村芝居の天井に、雨車を仕掛けた形で、妙に陰気だよ。」 串戯ではない。日向に颯と村雨が掛った、薄の葉摺れの音を立・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・――おなじ桜に風だもの、兄さんを誘いに来ると悪いから―― その晩、おなじ千羽ヶ淵へ、ずぶずぶの夥間だったのに、なまじ死にはぐれると、今さら気味が悪くなって、町をうろつくにも、山の手の辻へ廻って、箔屋の前は通らなかった。……・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・また或る人たちが下司な河岸遊びをしたり、或る人が三ツ蒲団の上で新聞小説を書いて得意になって相方の女に読んで聞かせたり、また或る大家が吉原は何となく不潔なような気がするといいつつも折々それとなく誘いの謎を掛けたり、また或る有名な大家が細君にで・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・と、知らない子は、誘いました。正吉くんは、その子は、いい子だから、お友だちになりたかったのでした。「どうしようかな。」と、ボールを握って、考えていました。「僕、帰りに、送ってあげるから、おいでよ。」 正吉くんは、ついにゆく気にな・・・ 小川未明 「少年と秋の日」
ある町に一人の妙な男が住んでいた。昼間はちっとも外に出ない。友人が誘いにきても、けっして外へは出なかった。病気だとか、用事があるとかいって、出ずにへやの中へ閉じこもっていた。夜になって人が寝静まってから、独りでぶらぶら外を歩くのが好き・・・ 小川未明 「電信柱と妙な男」
・・・ ちょうど、そのとき、小田と高橋が、釣りざおとバケツを下げて達ちゃん兄弟を誘いにきました。日曜日に、川へ寒ぶなを釣りにゆく、約束がしてあったからです。「どうしよう? ペスをさがしにゆくのをよして、釣りにゆこうか。」と、正ちゃんは、兄・・・ 小川未明 「ペスをさがしに」
・・・ 道子はそう呟きながら、道子は、姉の死の悲しい想出のつきまとう内地をはなれて、遠く南の国へ誘う「旅への誘い」にあつく心をゆすぶられていた。 二十七の歳までお嫁にも行かず、若い娘らしい喜びも知らず、達磨さんは孤独な、清潔な苦労とにらみ・・・ 織田作之助 「旅への誘い」
・・・登りつむればここは高台の見晴らし広く大空澄み渡る日は遠方の山影鮮やかに、国境を限る山脈林の上を走りて見えつ隠れつす、冬の朝、霜寒きころ、銀の鎖の末は幽なる空に消えゆく雪の峰など、みな青年が心を夢心地に誘いかれが身うちの血わくが常なれど、今日・・・ 国木田独歩 「わかれ」
・・・急ぎて先ず社務所に至り宿仮らん由を乞えば、袴つけたる男我らを誘いて楼上に導き、幅一間余もある長々しき廊を勾に折れて、何番とかやいう畳十ひらも敷くべき一室に入らしめたり。 あたりのさまを見るに我らが居れる一ト棟は、むかし観音院といいし頃よ・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 塾で新学年の稽古が始まる日には、高瀬は知らない人達に逢うという心を持って、庭伝いに桜井先生を誘いに行った。早起の先生は時間を待ち切れないで疾くに家を出た。裏庭には奥さんだけ居て、主婦らしく畠を見廻っていた。「でも、高瀬さん、田舎で・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
出典:青空文庫